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No. アメリカ横断ボランティア紀行(第6話) 遠征編 from Mammoth Cave
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Issued: 2006.10.26
遠征編 from Mammoth Cave(その4)
 (その3からつづく)
 もう一つの重要な変化は、コスト縮減のための政府機関の合理化だった。1933年の連邦政府組織再編により、国立公園局は国立公園の管理に加え、当時その多くが森林局により管理されていた国立記念物公園、戦争省が管轄していた戦跡及び戦争記念公園などを一括して管理することになった。これにより、連邦政府の公園地は国立公園局の管理下に集約され、現在の国立公園システムの原型が形作られた。こうして、1930年代に国立公園システムは急速な成長を遂げた。
 CCCによる工事が行き過ぎだったという批判も確かにある。しかし、現在の国立公園施設の骨格が形作られたのは、このCCCと後のミッション66(Mission 66)によるものといっても過言ではない。こうした、過去に行われた思い切った工事が、結果として現在の自家用車による快適な利用を可能にしていると言える。
 しかしながら、CCCによる大規模な公園整備も長くは続かなかった。第二次世界大戦の端緒となったパールハーバー爆撃は、それまでの大規模な開発事業、システム拡充路線を大きく転換させることとなった。公園の運営予算は削減され、CCCの参加者の多くは戦地に派兵された。この突然の予算不足の影響は、大規模な公園再生事業として56年に開始された「ミッション66」が実施されるまで解消されなかった。1942〜1956が国立公園にとって、「貧困の時代(The Poverty Years)」といわれるゆえんでもある。
 目次
CCCでの生活
道路を主体とした管理
物資調達
CCCでの生活
 CCCは職にあぶれた青年たちを集めて宿営地(キャンプ)を作り、軍隊スタイルの生活を送りながら様々な公共事業に従事するものだった。その対価として一ヶ月30ドルが支給されるが、うち25ドルは家族に直接支払われた。このような若者により、今では考えられないような手間のかかる工事が急速に進められていった。
 グレートスモーキーマウンテンズ国立公園では、1933年から1942年の間に、23の独立したCCCキャンプが設営された。1934年から35年の最盛期には、実に4,350人の若者が働いていたそうだ。なお、グレートスモーキーマウンテンズ国立公園は34年設立だが、33年当時、すでに承認手続きは完了していた(国立公園としての承認は1926年)。

 先に訪れたシェナンドア国立公園でもCCCは活躍し、素晴らしい石積み擁壁をもつスカイライン・ドライブなどが整備された。
CCCにより建設された車道(シェナンドア国立公園;国立公園局ホームページより)CCCにより建設された駐車場(シェナンドア国立公園;国立公園局ホームページより)
CCCにより建設された車道(シェナンドア国立公園;国立公園局ホームページより)
シェナンドア国立公園でのCCCによる道路建設の様子(国立公園局ホームページより)

 あまり知られてはいないが、マンモスケイブ国立公園の鍾乳洞内の歩道もCCCの大きな成果の一つだ。鍾乳洞内で得られる岩石や粘土のみを使って丁寧に作られた園路はいまだに現役だ。マンモスケイブ国立公園内のCCC宿舎キャンプでは、毎週金曜日に地元の女性たちとのフォークダンスパーティーが開かれていたそうだが、当時のキャンプ地は今は跡形もない。
道路を主体とした管理
 道路を中心に公園が計画されていれば、当然ながら利用や管理も道路が中心となる。マンモスケイブ国立公園で聞いたところでは、国立公園の取締官(レンジャー)の仕事も、とにかく道路を走り回ることである。24時間シフトでスピード違反、違法駐車、その他不審な車の取り締まりを行なっている。利用者のほとんどが車を利用しているので、取締業務も車道上が中心となる。道路のない区域への利用者の立ち入りは極端に少ない。車道以外の場所では、資源管理、メンテナンス、インタープリテーションなどの職員が活動しており、万が一不審人物や犯罪の形跡があれば、通報する。
 一方、利用は車道に集中するため、利用者誘導は車両の誘導とほぼイコールの関係にある。このため、多くの公園では、有効な利用適正化の手段としてパークアンドライドの導入が検討されている。
 それにしても、公園内には車が多い。その上、さっさといなくなってしまう。素晴らしい展望台のすぐそばまで車で乗りつけ、走り去る。一方で公園側も、利用者の満足のためには、思い切った施設を作る。見所がはっきりしていて車で容易にアクセスできるから利用者の満足度も高い。利用者の平均滞留時間が短いので混雑緩和にも貢献する。アメリカの国立公園が日本人に人気が高い理由のひとつは、絶好のカメラポイントがこれでもかという程あることではないだろうか。
 こうした公園の利用形態は、さまざまな弊害も呼び起こしている。冬にもかかわらずTシャツ1枚にサンダル姿で車を運転してくる人、水も雨具も持たずにテニスシューズで山道に入る人など、自動車利用のビジターの多くは、自分が危険な大自然の中に来ているという認識がほとんどない。天候の変わりやすい山道に、すべりやすいテニスシューズを履いて、適切な装備も持たずに入れば、ケガや遭難の危険性が高くなる。山頂付近まで車道の整備されている国立公園では、車から一歩外に出れば変わりやすい山岳気象の中ということも多い。多くのアメリカ人にとって、国立公園は自動車で楽しむものであり、自然は車窓から楽しむものなのかもしれない。
 ところで、車利用が主体のアメリカの国立公園ではピクニックが盛んだ。車のトランクからテーブルクロスや巨大なクーラーボックスなどが次々と運び出される。公園の味気ないテーブル付きベンチが楽しげな昼食会場に早変わりする。さすがアウトドア天国の国アメリカだ。私たちも小ぶりなクーラーボックスを買い込み、ささやかながら、お昼にはピクニックを楽しむようになった。
物資調達
 ワシントンDCには文化的な生活環境と「日本」があった。6月の遠征の週末、N書記官が私たちをウルフトラップという半野外劇場に案内してくれた。豊かな緑に囲まれた木造のホールは、内側が屋根つきの指定席、外側は芝生の自由席になっている。芝生席の観客は、思い思いに椅子やシートを出し、ゆったりと横になっている。
 このDC郊外のホールも、実は国立公園ユニットの一つとして国立公園局が管理している。私たちも芝生で冷えたワインを飲んだ後、屋内ホールでコンサートを楽しんだ。
 また、「ボルチモアまで行けば大リーグの試合が観戦できるよ」というN書記官の言葉に、さっそくチケットを購入し、夕方の環状線の渋滞に飛び込んだ。ボルチモアはワシントンDCから北東60キロほどの距離にあり、メリーランド州では最大の都市だ。ボルチモアまでの途中、これまでみたことのない車線の数と渋滞に打ちのめされながら、何とか球場にたどり着き、初めての大リーグ観戦を楽しんだ。
 ワシントンDCでは、ホワイトハウスやリンカーン記念堂、モールにあるスミソニアン博物館といった有名スポットも見逃せない。これらホワイトハウスや連邦議会からリンカーン記念堂にかけて広がるモール(The Mall)も、国立公園ユニットである。ちなみに、スミソニアン博物館は入場無料。3Dの映画など、一部には有料のプログラムもあるが、それ以外はアポロ宇宙船の実物だろうが、手の込んだ恐竜の展示だろうが、すべて無料だ。この国の子供たちはなんて幸せなんだろうと溜息の出る思いだった。
ウルフトラップでのコンサート風景
ウルフトラップでのコンサート風景
ホワイトハウス 連邦政府議会(Capitol Hill)
ホワイトハウス連邦政府議会(Capitol Hill)

 ワシントンDCで私たちをもっとも狂喜させたのは、韓国系のスーパーマーケットだった。米、味噌はもちろん、しょうゆも缶入りの大きなサイズで売られている。売り場には、日本風の食器まで並んでいた。
 中でも嬉しかったのは納豆だった。日本では見慣れたはずの納豆のパックが神々しく見える。日本酒や日本のビールも案外安い。ゴボウ、モヤシなど日本でおなじみの野菜もあった。
 こうして初の遠征となった一週間はあっという間に過ぎた。私たちは物資と栄養を十分に補給して、また一路ケンタッキー州マンモスケイブの現場に舞い戻った。
<妻からの一言:手作り納豆>
 公園内での生活も落ち着いてくると、肉好きの私もさすがに焼き魚や味噌汁が恋しくなってきました。野外作業中、オレンジ色の石を見つけては、「焼きタラコのおにぎりが食べたい…」などとつぶやきながら外来種の草を抜いたりしていました。
 ワシントンDCで購入してきた食材の中でも、2人の喜びが大きかったのが韓国スーパーで手に入れた納豆。これはマンモスケイブではなかなか手に入りません。何とか冷凍して持ち帰ってきたものの、2人で食べたらあっという間になくなってしまいます。そこで自分たちで納豆を作ってみることにしました。
 インターネットの普及は驚く程で、「納豆作り」と入力して検索すると、様々なページが出てきます。いろいろ読んでみると、納豆作りはそれほど難しくないことがわかりました。納豆菌は高温に強いために雑菌が混入しにくく、また種菌は市販の納豆で代用できます。問題は、発酵のための温度管理(摂氏40〜50度)が難しかったことと、アメリカで流通している大豆のほとんどが遺伝子組換え作物だったということでした。とはいえ、もともと日本の大豆はほとんどアメリカからの輸入品。気にしても仕方ありません。
 マンモスケイブ国立公園の周りでもあちこちで大豆が栽培されています。ところが、どこのスーパーに行っても枝豆はおろか、乾燥大豆も見当たりませんでした。公園の職員に聞いてみると、「大豆は家畜が食べるものか輸出用であり、食用としては売られていない」とのこと。
 夏になると、道路脇一面に枝豆がぶら下がっています。車を止めて引っこ抜きたい衝動に駆られましたが、そんなことをすると「銃で撃たれる」そうです。方々探してみると、乾燥大豆がアジア系食品を扱うマーケットで、1ポンド(約450グラム)1ドルちょっとで売られていました。何とカリフォルニア産(!)です。ちなみに、枝豆も冷凍食品としてなら一般のスーパーで購入が可能でした。殻つき、殻なしがあり、同じ量入って値段は同じ! 原料はタダ同然ということでしょうか。
 温度管理は、ホームページのアイデアを借用して、熱湯を入れたペットボトルを使うことにしました。発泡スチロール製のクーラーボックスに、熱湯を入れたペットボトルを2本入れると4時間ほど保温されます。4時間ごとの交換が面倒でしたが、後日、スリフトショップ(募金目的のリサイクルショップのような店)で購入したろうそく型のランプを使うようになってからだいぶ楽になりました。7Wの電球をつけて2日間放置しておくだけで、しっかり発酵が進むようになりました。時々蓋を開けると、強烈なアンモニア臭に目を開けていることができないほどです。さすがにルームメイトは驚いたようで、狼狽しながら私たちのところに駆けつけると、「どうもオレの部屋から変なにおいがしているようなんだ。申し訳ない」と言い出しました。どんな部屋の使い方をしているかは別として、こちらこそ丁重にお詫びをしなければなりません。それ以降、ルームメイトが外泊する予定を聞いてから大豆を仕込むことにしました。
 大豆を炒って使うので、できあがりは多少香ばしい納豆ですが、ちゃんと糸も引いていました。また、1ポンドの乾燥大豆からできる納豆はかなりの量で、マンモスケイブ国立公園に滞在してた間、納豆を切らすことはありませんでした。
 納豆作りに味をしめた私たちは、まんじゅう、ヨーグルト、豆腐、さらにおからを使ったベジタブルバーガー、あんパン、うどんと、次々に手作りのレパートリーを広げていくことになりました。どれもこれも、外界からある程度隔絶された国立公園での生活の中で育まれた(?)技術で、英語とは比べものにならないほど上達しました。
納豆作りのために購入した保温用のクーラーボックスと乾燥大豆、そしてワシントンDCで購入してきた納豆(種菌)。クーラーボックスには温度計が挿し込んであります。 大豆を蒸す時間を短縮するため、最初にマメを炒ることにしました。
納豆作りのために購入した保温用のクーラーボックスと乾燥大豆、そしてワシントンDCで購入してきた納豆(種菌)。クーラーボックスには温度計が挿し込んであります。 大豆を蒸す時間を短縮するため、最初にマメを炒ることにしました。
できあがった納豆。炒りすぎて少し黒くなってしまいましたが、糸もひいて納豆の味がします。一応引き割り納豆にしてあります。
できあがった納豆。炒りすぎて少し黒くなってしまいましたが、糸もひいて納豆の味がします。一応引き割り納豆にしてあります。
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記事・写真:鈴木渉(→プロフィール

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