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環境さんぽ道

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様々な分野でご活躍されている方々の環境にまつわるエッセイをご紹介するコーナーです。

No.049

Issued: 2016.01.12

ただのビニール袋でも

草田 照子(くさだ てるこ)さん

草田 照子(くさだ てるこ)さん
歌人。長野県出身。
1981年、馬場あき子に師事。「かりん」会員となり、作歌を始める。編集委員を経て、選歌委員。
歌集『天の魚』『父の贈り物』『聖なる時間』など。歌書『うたの信濃』。
朝日カルチャーセンター新宿教室・横浜教室、昭和女子大オープンカレッジ各短歌教室講師。朝日新聞長野版歌壇選者。

 私の育った信濃の村は、町から離れていたせいか、小さいながらも三つの医院があった。当時、食品店をしていたわが家の配達係は、まだ小学生だった長女の私で、医院の一つによく行っていた。ナースを兼ねた奥さんはシャキシャキした感じの人で、台所に続く居間には、折々、きれいな着物がかかっていた。それは、子どもの私にも質がよさそうに思われたし、見るたびに違うこともわかった。あるとき、そのことを口にした私に、奥さんは「おばちゃんには照子ちゃんたちのような子どもがいないからね」と答えた。
着物が子どもの代わりになるとは思えなかったし、静かで落ち着いた部屋を羨ましく思った。子どものいない生活のさびしさを深く思いやることのできる年齢でもなかった。むしろ、ほとんど柔かい着物を着ることもなく働き、私たち三人姉弟の世話をする母を少しかわいそうに思ったものだ。

 先日、美容院に行って女性週刊誌をみていると、もうあまりにも言い古されたような「断捨離」の記事があった。新聞の広告などで言葉は知っていたが、本を買って読むこともなかった。だから、本当の意味の断捨離は知らなかったのだが、その記事についていた写真に思わず失笑してしまった。まあ、極端な例なのであろうが、部屋の真ん中に小さめのテーブルが一つ置かれているのみなのである。ソファどころか、テレビも、本棚や食器棚も箪笥もない。捨てて捨てて、確かにすっきりはしている。しかし、これで本当に楽しいのだろうかとしばらく考え込んでしまった。けっして人さまのことをどうこう言うつもりはないが、食器だけをとってみても、年がら年中一つ食器で、季節を感じることもない食卓を思うと、やはり私には耐えられそうもない。

 ケープタウンからストックホルムまで、飛鳥Uの短歌教室の講師として乗船したのは、2011年の5月のことだった。ケープタウンを出て次に寄港したのはナミビア、そこからダカールまでの大西洋の船旅は長かった。途中、セントヘレナ島を眺めたが、ほぼ1週間、寄港地なしの航海が続いた。明けても暮れても海しか見えない。もちろん、その間に教室はあり、何回も美しい夕陽を眺めたし、日本で見るのとは違う南の星空も見た。けれども、すれ違う船もほとんどなく、海しか見えない日々の連続は、まるで地球上に私たちだけが置き去りにされたかのように心細かった。豪華客船に乗っているのに、妙な孤独感があった。それが、旅のひとつのよさでもあるのだが。
ダカールが近くなったとわかったのは、海面に白いビニール袋を見つけた時だった。日本では評判がよくない、あのレジ袋である。もしかしたら、別の船から投げ捨てられたものだったかもしれないが、深く青い海に浮かぶビニール袋をデッキから眺めつつ、やっと人の気配が感じられたことがとてもうれしく印象深かった。

 人が生きていくということは、こうしてゴミを出しながら生活するということなのだと思った。よい悪いではなく、そういうものなのであり、昔からのことだったのだ。ただ、昔のゴミはたいていのものが、自然の中に戻っていったということが、現代と違うのだろう。あの医院の奥さんの着物が、その後どうなったのか、半世紀も経って知りようもない。何枚もの美しい着物は、奥さんの孤独を充分ではなくとも、幾分かは慰め、楽しませたはずだ。断捨離で捨てられた、テレビや棚、食器類はどうなったのだろうか。必要以上に持つことはないし、上等なものは買えないが、日々の暮らしを楽しむ程度の物は持ちたいと、私は今も思っている。最後に朝日カルチャーセンターの短歌教室の作品を。

「不揃いのマル・エン全集束にしてゴミに出し行きまた持ち帰る」(斎藤元英)

「脳裏なる高橋和巳うすれゆきハードカバーの五冊を捨てたり」(同)

「断捨離は思いも含むと友言いぬ木守りの柿に風触れてゆく」(長友一代)


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(記事:草田 照子)

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