なぜ自然保護が必要か?
登録日: 2001年10月13日 最終回答日:2001年10月19日 自然環境 生物多様性
No.405 2001-10-13 04:05:48 匿名
皆さんにお聞きしたいことがあります。
なぜ、自然保護が必要か?
当たり前のことのようですが、価値観は人によって随分異なるものです。ここを訪れる方たちはみな、自然保護は重要だと考えている方たちばかりだと思うのですが、なぜ?ということをしっかりと文章にできる方は教えていただきたいと思います。
あたりまえのことを考えるのは思いのほか難しいことです。
よろしくお願いいたします。
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No.406 【A-1】
Re:なぜ自然保護が必要か?
2001-10-16 01:35:34 BATA (
その輪のうちの何かが欠けても、生きてはいけないのでは
ないでしょうか?
たとえば、樹木を伐採してなくしてしまったら、
炭酸ガスを酸素に変えることは、化学的に可能かも
知れませんが、樹木をえさにしている動物の食料は
どうなるのでしょうか?
食料がなくなった動物達は滅びるしか道はないでしょう。
そして、その動物をえさにする更に大型の動物は・・・
ついには、人間の食料自体もなくなってしまいます。
化学合成の栄養素で人間は生き続けることが
できるのでしょうか?
人間の我がままのために、多くの動物が絶滅して
いきました。
そのことが人間にも跳ね返ってくることを考えると
自然を保護していく(むしろ共生を図ると言うほうが正確か?)
ことは大切なことなのだと思います。
だいたい緑のない生活って、味気ないと思いませんか?
回答に対するお礼・補足
そうなんですよね。
私もそうは思うのですが、だからといって、他のものを犠牲にするとき、例えばそれが豊かさ、便利さだったとしたときどうなるか、ということなんです。
日々使っている電車、車、食べているものも流通がないと食べられない。
今の社会は自分たちの便利さの代わりに他の何かを犠牲にしているわけで。
また、必ずしも私たちのような考え方ばかりではないと思うので、緑なんてなぜ重要なの?といわれたときにどう反論したらいいのか、そういう人たちにどうすれば伝えられるのか、そう思ったのでかいてみたのです。
どう思われますか?
No.407 【A-2】
Re:なぜ自然保護が必要か?
2001-10-16 11:52:52 宇宙人 (
地球にはヒト(homo sapiens)というおもしろい動物が生息しています。
この動物は最近急激に個体数を増やし、今では地球上のどこでも見られる普通種です。かってはいくつかの地域個体群に分かれて生息していたのですが、今では生息域は連続し、遺伝的多様性は低下しています。
この動物の特徴は周辺の環境を個体群や個体の生息に都合良く改変する習性を持っていることです。また、必要以上に他の生物を殺します。さらに個体群や個体の当面の利益を追求する習性を持っており、時には利益の獲得権を巡って個体群間で共食い(戦争)も始めますし、いったん得た利益は離そうとしません。
一言で言えば、ヒトは止まることのない貪欲さを持っている動物です。
増えすぎていって周辺の環境を変え、あげくは生息出来ない環境にまで行き着き、突然クラッシュを起こし個体数を激減させる動物がいます。天敵がいないときの草食動物によく見られるようです。
今、我々宇宙人はヒトの大規模なクラッシュが見られそうなので地球を注目しています。
しかし、中には習性を変えつつある個体も見られるので、こういう個体が増えたらクラッシュは見られないかもしれない。ちょっと残念だがそれはそれでヒトが観察がまだ続けられるので良しとしよう。
(ヒトの独り言)
要はヒトの習性どおり個体の利益で動くか、学習してヒトという種全体のために習性を変えるかの問題だと思います。
No.411 【A-3】
回答に返答です。
2001-10-16 23:56:16 BATA (
確かに環境破壊(言いすぎですか?)と
利便の追求は表裏一体といっても過言ではないですね。
ただ、緑を失うことによって、
確実に人間の種としての危機に近づくという点は、
宇宙人さんも書いているとおりだと思います。
そういう意味でも、「自然を守る事は大切なこと」だと
伝えてあげられるのではないでしょうか?
人類の叡智をもって利便の追求と環境の保護を
両立させることができるはずです。
今は、その方法を模索している段階なのだと思います。
みんなで考えていければ良いですよね。
No.416 【A-4】
Re:なぜ自然保護が必要か?
2001-10-19 18:39:59 君山銀針 (
狂牛病にしても、人間が生態系に沿った食事をしなくなり、人間が食べる牛にも人工的につくった飼料(普通だったら牛は食べないもの)を食べさせていたことが原因になっています。
また、緑が少なくなってきたことで、都市の中ではヒートアイランド現象が顕著になり、1980年よりも2倍〜3倍暑い日が増えてきています。
ヒートアイランドの記者発表資料→ http://www.eic.or.jp/news/detail.php3?serial=1180&sort=&word=%83q%81%5B%83g%83A%83C%83%89%83%93%83h
一見便利に見えることでも、自然の許容量から大きくかけ離れたことを続けていると、かえって人間にとって脅威となるような出来事が出てきます。そのことをきちんと認識すべき時にきているのではないでしょうか。
なお、上記のことに加えて念のため補足しておきますが、
環境倫理の議論の中で人間が自然を守る際の立場として、
(1)あくまで人間を主として、結果的に人間に害が及ぶから自然を守る、
という立場と
(2)自然が存在すること自体の意味「内在的価値」を積極的に認め、人間への影響にかかわらず自然を守る、
という2つの立場があると指摘されたことがあります。(『自然に対する人間の責任』パスモアなど)
一番最初に私が書いたことは一見(1)のようにも受け取られるかもしれませんが、私の考えでは「人間と自然は一蓮托生」。 人間にとってよいか悪いかを判断する以前に人間と自然はあらゆる意味で運命共同体だと思います。
なお、内在的価値についての詳しいことは
「自然を保護することと人間を保護すること−「保全」と「保存」の四つの領域 」(森岡正博)
http://member.nifty.ne.jp/lifestudies/library01/shizen.htm などを参照下さい。
回答に対するお礼・補足
有難うございます、参考にさせていただきます。
なんというか、わかっていることながらそれを言葉にしようとするととても難しいことだと思います。
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