No.067
Issued: 2017.07.10
「学校給食」に何ができるか?
- 村山 伸子(むらやま のぶこ)さん
- 新潟県立大学人間生活学部健康栄養学科教授。
新潟市生まれ。
東京大学大学院医学系研究科国際保健学専攻修了。
専門は公衆栄養学、国際栄養学。
日本人にとって学校給食はあって当たり前のもの。ひとりひとり、楽しい思い出、嫌いな食物が食べられなくて困った思い出などがあることと思います。
日本の学校給食は1889年に山形県鶴岡市の小学校で生活困窮のためにお弁当を持ってくることができない子どものために、おにぎり、焼き魚、漬物といった昼食を出したことが始まりです。その後、第二次大戦後の食糧難の時期に、ユニセフやアメリカからの援助を受けて、全国に普及しました。1954年に学校給食法が施行され、費用は学校の設置者と保護者が負担することとなりました。2015年現在、日本の小学校の99%、中学校の88%で給食が実施されています。
最近は、メニューも多彩になり、郷土料理や外国の料理を出す学校も増えています。同じ世代の人を学校給食の話をすると、共通の献立や料理で話が盛り上がります。
私の年代では、「くじらの立田揚げ」や「揚げパン」は、比較的いろいろな地域の人と「あった、あった」と共感できるメニューです。これを読んで、「あった」と共感していただける方も多いのでは?
学校給食によって日本人としての食事の共通体験をもてることは、すごいことだと思います。そして、戦後の日本人の栄養状態は向上しました(現在では、肥満など過剰の問題もありますが)。また、最近の私たちの日本での研究から、学校給食は世帯年収による小学生の栄養格差縮小に寄与することがわかりました。
では、世界で、学校給食はどのくらい普及しているのでしょうか?
正確なデータはありませんが、アジア、アフリカで、国として学校給食が制度化され、全国の小学校に行きわたっている国は少ないと考えられます。これらの国において学校給食は、栄養状態の向上とともに、生活困窮世帯の子どもを学校に行かせるきっかけとなり、教育の機会の拡大につながるため重要とされています。
アジアの中でも低体重や貧血等の低栄養児が多いバングラデシュでは、国としての学校給食制度はありませんが、これまで、いくつかのプロジェクトが実施されています。その1つとして、日本とバングラデシュのメンバーをもつNGOが、学校給食を実施する取組を2009年から実施してきました。給食の調理施設の設置、献立の作成、食材の調達ルートの確保、調理トレーニング、衛生管理、子どもや保護者への栄養教育等をおこなってきました。
保護者らが調理を担当し(写真1)、電気やガスは無いため、薪で煮炊きします(写真2)。
学校給食のメニューの1例には、大豆を加えてたんぱく質の栄養価を高めたご飯と野菜カレーがあります(写真3)。持続的な学校給食のため、子どもが家から少しずつ米を持ち寄り、学校の先生が集め、給食で使うとともに余った米は給食の運営資金にします。子ども達は、食材にするため学校菜園をつくります(写真4)。
保護者だけでなく、地域の人で学校給食委員会をつくり、持続的な運営について話し合います。保護者も子どもを働かせるのではなく学校に送りだしますし、子ども達は給食を楽しみにして学校に来ます(写真5)。学校給食を中心に、自分たちの地域を自分たちで変えていこうという動きにつながっていきます。
世界各地で、学校給食が、楽しく、教育の機会の拡大になり、栄養状態を向上させ、栄養格差を縮小させ、その国の食事の共通体験をもつことにつながるか、さらに地域づくりにつながるか。学校給食に何ができるか? さまざまな可能性を感じます。
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(記事・図版:村山伸子)
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