No.041
Issued: 2015.05.12
世界の海、日本の海
- 青木 勝(あおき かつ)さん
- 埼玉県生まれ。新聞社勤務を経てフリーとなる。
日本航空の専属カメラマンとして、1970年から飛行機写真を撮りはじめ、独自の飛行機写真の世界を確立。飛行機写真の草分け的存在。日本写真家協会会員。自家用操縦士。
著書に「JET JET JET」、「AIRLINERS 青木勝の旅客機の世界」、「YS-11名機伝説」、「YS-11が飛んだ空 全182機それぞれの生涯」、「素晴らしき飛行機写真の世界」など。
飛行機を専門に写真を撮り続けてきたぼくですが、もちろん、それ以外にも他の乗り物やスポーツ、科学関係の取材など仕事でいろいろな写真を撮ってきました。そんななかで、飛行機の次にぼくを魅了したのは豪華客船飛鳥です。縁があって、飛鳥に乗船して世界一周をする仕事に出会い、客船の素晴らしさに目覚めてしまいしました。
20世紀に誕生したばかりのスピードが命の飛行機と、はるか大昔から人類が器用に利用してきた優雅にゆったり海を渡る船。真逆といえば、そういえるかもしれないこの二つの乗り物、それぞれに語りつくせない個性と測りがたい魅力があって、興味が尽きません。
そして、船上からぼくは海の美しさにもまた、こころをうたれたのです。飛鳥は、港に停泊する以外は連日航海。360度、周囲は海です。見渡す限り、海以外に何もない世界です。この爽快さ、快適さは、空を飛ぶ飛行機以上のものがあります。飛行機は、密閉された室内の小さな窓からしか空を見ることができませんが、船ではデッキに出れば、とくに屋上デッキに上がれば、海を渡る風を全身に浴びながら、360度の海を自由に見渡すことができるのです。
何より強調したいのは、海の色の美しさです。地球上の海はひとつなのに、それぞれの地域によって太陽光線や海の成分の変化や地形や気象状況などで、表情と色合いがさまざまに違ってくるのです。
ところてんと化したベタ凪のインド洋の深く硬い群青色。モルジブやタヒチの島々を取り囲む、瑠璃色と水色とターコイズブルーなどの、音楽のような微妙で繊細な青色のハーモニーを奏でるサンゴ礁の海。そして、極め付きは、天地創造の瞬間に立ち会っているような錯覚を覚えるほど荘厳な朝日と夕陽の光景です。この美しさを、なんとかつかみ取ろうと、その都度夢中になって撮影したものです。
熱帯地方に入ると、水平線のどこかで雨の降っている場所が見え、大きな入道雲の下で雷の光るのが見えます。鳥がやってきて、船の船尾に向かって発生する風に乗って遊ぶ様子が見られるのも楽しみのひとつです。また、カツオドリなどが魚を狙って海にダイビングする、迫力満点の行動をまぢかで見られます。空を飛ぶ鳥を地上から見上げるのではなく、鳥たちの上から見下ろすことができるというのは、船ならではの貴重で得難い、わくわくするような体験です。イルカの群れやトビウオが海上を飛び跳ね、クジラが潮を吹き、魚の群れが海面を盛り上げるといったドラマが突如繰り広げられる海は、何時間眺めていても見飽きることがありません。
ところで、世界一周して横浜の港に戻ってくると、東京湾に入ると海が汚く、嫌な臭いのすることが毎回気になります。あまりにきれいな海は魚も棲まないそうですが、もう少しきれいな海になってほしいと思います。
さて、海のない埼玉県に生まれたので、海とはあまり縁がなかったのですが、妻の実家が北茨城市にあって、海がすぐそば。ぼくにとって、日本の海といえば、長年親しんできたこの北茨城市の海を意味します。福島県との県境にある北茨城市の海岸には、岡倉天心が創設した日本美術院の活動の拠点にもなった、入り組んだ断崖絶壁が続く五浦海岸があり、そこに『天心記念五浦美術館』があり、大津港と平潟港、二つの漁港があります。また、大津港から平潟港に向かう海岸に沿った道路の途中の波打ち際には、戦時中、アメリカ大陸に向かって、ここから風船爆弾を飛ばしたという、ちょっと珍しい碑が建っています。
われわれ夫婦のお気に入りは、両の掌にすっぽりとおさまってしまいそうな小さな漁港、平潟港です。どこも構えたところがなく、ごくごく自然な港の佇まいがなんといえず、妻の実家に滞在中は、義母があきれるほど毎日のように港に通い、時には半日以上も、気まぐれにカモメや漁港の写真を撮ったりして、ぼんやりと無為の時間を過ごすのが、半ば習慣と化していました。平潟港にとってみれば、我々はただの不審者。しかし、一度も居づらいとかよそ者意識を持たされたことがありません。ぼくはこの地の出身者のような大きな顔をして、この港で何もしない夢のような時間を過ごしてきたのです。
その貴重な海が、東日本大震災の発生で奪われてしまいました。独り暮らしをしていた義母は、我が家に同居し、慣れ親しんだ古い小さな家も四年後のいまはなくなりました。
震災の年11月、もう、この海に以前のように気軽に来ることもなくなるだろうというので、大津港と平潟港を、カメラを持ってまわりました。港周辺の家は流されて、土台だけが残り、港も荒れていましたが、漁が再開されて、威勢の良いセリも行われていました。悲しかったけれど、また、復興の逞しさも感じられる訪問でした。
しかしこのとき、ぼくは初めてよそ者であることを痛感させられました。写真を撮る虚しさ、痛みを感じました。失われた時間は戻ってきません。しかし、海は海。日本のそして世界の海の美しさは、永遠に続くと思うことで、ぼくの心は平穏を取り戻せそうです。
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(記事・写真:青木勝)
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