No.018
Issued: 2008.08.28
イエローストーン国立公園
1872年、世界で初めての国立公園、イエローストーン国立公園が設立された。今もハクトウワシが舞い、バッファローが群れをなすイエローストーンは、野生生物にとって、アラスカを除く米国本土48州に残された“最後の楽園”といえる。
私たちが訪問した当時、イエローストーンではスノーモービルの乗り入れ規制導入をめぐって関係者の意見が対立し、司法、さらには政権を巻き込んだ論争に発展していた。
自然のスケールばかりでなく、「もめごと」のスケールも大きい。国立公園発祥の地、イエローストーンは、今も国立公園行政のフロンティアと言える。
イエローストーン国立公園
イエローストーン国立公園は、ワイオミング、モンタナ、アイダホの3州にまたがる、面積222万エーカー(約90万ヘクタール)の国立公園。アメリカ屈指の広大な国立公園であり、また観光地でもある。1978年には世界自然遺産にも登録されている。
公園区域の中心部は、実は大きな火口の跡だ。60万年前、イエローストーンの中心部で大規模な噴火があった。その火口は南北45キロメートル、東西75キロメートルにも及ぶものだったと考えられている。オールドフェイスフルをはじめとする数々の間欠泉、ガイザー(噴泉)などは、この地域が現在も活発な火山活動を続けている証拠でもある。
公園内には大陸分水嶺(continental divide)が走っている。分水嶺と車道が交わるクレイグ峠(Craig Pass)は標高が2500メートル。この地点を境に水が太平洋と大西洋とに別れると考えると目がくらむ思いだ。この公園は、米国本土の巨大な屋根、ロッキー山脈のただ中にあるのだ。さまざまな野生生物が生息しているが、何といっても有名なのはバイソン(バッファロー)だろう。公園を車で走っていると、あちこちでバイソンの群れに遭遇する。そのほか、エルク、ハイイログマ、ビッグホーンシープ、ムース、エルクなどが見られる。
過去、国立公園においては、エルク、バイソン、オオカミの捕獲、駆除が行われたそうだ。その結果、イエローストーン一帯【※】ではオオカミは絶滅した。しかしながら、健全な生態系を維持するためには、食物連鎖の頂点にたつオオカミの存在が不可欠だということがわかってきたため、1995年〜1996年にかけて、カナダから31頭のオオカミが再導入された。現在は170頭前後に増加している。
※イエローストーン国立公園及びその周辺をとりまく国有林などにより、拡大イエローストーン(Greater Yellowstone)地域と呼ばれる自然地域が保護されている。
国立公園の施設計画
イエローストーン国立公園の年間利用者数は約300万人。そのほとんどは7月と8月に集中する。私たちが訪問したのも8月で利用者が多かった。ほとんどの利用者は車でやってくる。広大な面積の公園は見所も多く、車で回っても一週間ではとてもすべてを見ることはできない。
国立公園の地図を眺めてみても、この公園の施設が、車の利用を念頭に構成されていることがわかる。公園内には、大きな8の字状のループ道路が、公園内の見所をうまくカバーするように周回している。その周回道路に、各ゲートから車道が延びている。まるで、公園全体がドライブのために設計されているような印象を受ける。周回道路に沿って、「ビレッジ」と呼ばれる利用拠点【1】が設けられており、ビジターセンターやホテルなどが整備されている。
イエローストーン国立公園の車道のエントランスは5箇所しかない。うち1箇所はパークウェイを介して隣のグランドティートン国立公園とつながっている。広大な公園の面積に比べてゲートが少ない。その分、公園のアクセスコントロールや料金徴収のコスト削減の効果が高いことが推察できる。
トップシーズンというのに、いったん国立公園に入ってしまえば、それほど混雑を感じない。この車道計画とビレッジの分散配置によって、利用者の集中が緩和されているようだ。地理的条件から、どうしても利用者が一箇所に集中してしまうヨセミテやグランドキャニオンとは印象がかなり異なる。
また、このビレッジと車道計画は、日本の国立公園の利用施設計画にも似ている。日本の国立公園にも、ホテルやビジターセンターが立地する「集団施設地区」が設定され、公園利用に必要なホテル、キャンプ場、ビジターセンター、駐車場、ピクニックサイト(園地)などが整備されている。車道がそれらの利用拠点と公園の入口や核心部をつなぐように設定される。日本のこの制度(集団施設地区)は、アメリカのビレッジなどの考え方を参考に構想・立案されたのではないかと思えてならない。
○グランドティートン国立公園(Grand Teton National Park)
1929年設立、面積310,000エーカー(約12万5千ヘクタール)。ジャクソンホールからのスネーク川の流れとティートン山脈の険しい山岳地形の風景は雄大。ジョン D. ロックフェラージュニア記念パークウェイによってイエローストーン国立公園とつながっており、実質的に一体の公園として利用される。国立エルク保護区(魚類野生生物局管理)が隣接している。
○ジョン D. ロックフェラージュニア記念パークウェイ(John D. Rockefeller Jr. Memorial Parkway)
1972年設立。面積23,800エーカー(約9,600ヘクタール)。イエローストーンとグランドティートンをつなぐ延長8.2マイル(約13キロメートル)の公園コリドー。このパークウェイは、グランドティートンを含む多くの国立公園の設立に尽力した、ジョン D. ロックフェラー氏を記念して設立された。管理はグランドティートン国立公園が兼轄している。
公園管理に関する課題
イエローストーン国立公園は、世界最初の国立公園として知られている。それだけにさまざまな管理上の問題にも真っ先に直面してきたといえる。例えば、オオカミの駆除、クマの餌付け、森林火災の管理方法などだ。
国立公園局のウェブサイトには、イエローストーン国立公園に関する様々な資料が公開されている【2】。野生動物の狩猟や餌付けなどの写真を見ることができる他、国立公園設立当初に公園を管理していた軍隊の様子、かつて何の施設もなかった時代の公園利用者の様子、公園までの交通の様子など、写真がさまざまなことを教えてくれ、とても興味深い。よく見ると、レンジャーの制服は、国立公園局が設立される1916年まで公園を管理していた軍隊の軍服とそっくりだ。考えてみれば、「レンジャー」という呼称そのものも、こうした軍隊の部隊を連想させる言葉だ。
また、1988年に発生した大規模な森林火災は、イエローストーンの森林管理の大きな転機になったと言われている。それまで、国立公園における森林火災は、ほとんどすべての公園で抑制(消火)する方針をとっていた。
当時、イエローストーン国立公園では「自然に発生する森林火災は、むしろ自然のプロセスの一環である」との考え方が提起され、1988年の森林火災に適用されることになった。これは、施設や周辺集落地への延焼を防止する以外の消火活動は行わないという、当時としては画期的なものだった。
火災は、それまで森林に蓄積されていた倒木や枯れ枝も燃やし尽くしたために、非常に大規模なものとなった。また火災は利用シーズン中に発生したこともあって、全米中の注目を集めた。
火災の被害を受けた森林の景観は一変したものの、国立公園としての資質(野生生物や間欠泉、河川、草原景観など)にはなんら影響が生じなかった。イエローストーン国立公園におけるこの試行的な火災の取り扱いの正当性が裏付けられ、以降、他の国立公園にも広がっていったといわれている。
年々深刻化しているのは、増加する利用者の問題だ。特に、最も人気が高く利用者が集中するオールドフェイスフル地区への利用者集中はその好例だろう。蒸気が立ち上り、硫黄臭の漂う一帯は、日本の温泉地ではよく「地獄」などと呼ばれる場所だ。煮えたぎる温泉はきれいなマリンブルーで、白、黄、褐色の温泉噴出物によく映える。大小さまざまな間欠泉の間をめぐる周遊歩道がしっかりと整備されていて、あちこちで間欠泉の噴出を待つ人だかりができている。
最大の間欠泉である「オールドフェイスフル」は、イエローストーン訪問に欠かせない人気スポットだ。間欠泉の周りには、ぐるりと大規模なデッキがめぐらされている。近くのビジターセンターの正面は一面のガラス張りで、室内からも蒸気が吹き上がる様子をゆったりと眺めることができる。
また、この間欠泉のすぐ脇には、高さが30メートルほどもある巨大な木造建築物、「オールドフェイスフルイン」がある。1904年完成のこのホテルは、この地域の石材と木材により造られた歴史的建築物だ。イエローストーン国立公園設立の推進役である、ノーザンパシフィック鉄道の肝煎りで進められた観光開発の象徴でもある。
自然地域におけるマスツーリズムの先駆けとなったイエローストーン国立公園が、膨大な数の利用者を受け入れられるように計画されていることが伺える。駐車場も巨大で、まるで郊外型のスーパーマーケットに来ているようだ。国立公園自体の規模が大きいことや、既にループ道路が完成しているため利用者数のコントロールが事実上不可能という理由もあるだろう。ヨセミテ国立公園などがシャトルバスなどによるパークアンドライドを試みているのとは対照的だ。イエローストーン国立公園の道路の配置は、そのような対策には向いていない。
「アラスカ州のデナリ国立公園は、イエローストーンをはじめとする古い大公園の失敗に学んだからこそ、自家用車の締め出しに成功したんだ。デナリの管理手法は参考になると思うよ」
ビジターセンターのカウンターで対応してくれた公園職員の一言だった。アラスカに行けばこれまで見てきた国立公園とは全く違った管理手法が学べるかもしれない。私たちは、これをきっかけに、残された研修期間の中でアラスカに行くことを考え始めた。
スノーモービル規制
当時、イエローストーン国立公園で問題になっていたのが、冬季のスノーモービルの乗入れの取り扱いだった。国立公園内にスノーモービルが入り込むことで、バイソンの生息が脅かされたり、他の利用者の利用環境を大きく損なうことから、その是非が議論されていた。クリントン政権当時に、スノーモービルの全面的な締め出しを打ち出したものの、ブッシュ政権に代わって見直されるなど規制をめぐる対応も混迷し、国民の注目を集めていた。
このスノーモービル問題について、私も日本から「宿題」をもらっていた。日本で2002年の自然公園法一部改正によって導入された特別地域内の「利用調整地区」指定に関連して、先進地・アメリカの規制の制度的な特徴や運用の実情を調べるというものだった。
利用調整地区に指定されると、立入り人数などを制限して、利用の集中による自然環境の損失を防ぐことが期待される。これまであまり有効な手段がなかっただけに、画期的な制度改正と言える。2006年12月、吉野熊野国立公園の西大台地区に全国初の利用調整地区が設定された。ただ、実際の指定や規制の導入には困難な点も多いため、こういった海外の事例が参考になるのだろう。
「悪いんだけど、イエローストーンのスノーモービル規制の件を調べてくれないか?」
マンモスケイブを出発する直前、荷物をほぼまとめ終えたところで、日本からのメールが届いた。かなり急いでいるようだった。調べるといってもイエローストーンに行ける訳ではないので、インターネットで調べたり、公園職員に話を聞くくらいしかできない。マンモスケイブの公園職員が、それほどスノーモービルの問題に詳しいとは思えなかった。
公園職員に質問してみたところ、案の定、ホームページのアドレスが送られてきた。
「このサイトにあらゆる文書が掲載されているよ」
予想された反応だった。ところが、そのサイトにはものすごい量の書類が公開されていた。これまでの経緯に関する資料から様々な研究レポートなどが一通り掲載されている。このアドレスを日本に送れば調べられるはずだ。とりあえず送ってみる。
「今忙しくて手が回らないんだ。まあ、いいからざっと読んでみて簡単なメモをくれよ」
との返事。やむを得ずもう一度荷を解いて、プリンターや資料を取り出す。いくつかの資料を読み進んでいくうちに、この規制にまつわる興味深い議論が浮かび上がってきた。
冬季利用規制の経緯
アメリカでは、国家環境政策法(National Environmental Policy Act:NEPA)に基づき、政府の規制案の内容をあらかじめ評価しなければならない。規制についていくつかの代替案を提案し、それぞれの代替案を採択した場合の影響をアセスメントして、その報告書をパブリックコメントに付す。
紹介されたウェブサイトには、イエローストーンのスノーモービル規制に関する一連の書類が公開されていて、これまでの事情をよく知らない人にも経緯がわかるようになっている。
また、このウェブサイトではないが、新聞記事も参考になった。
「悪のブッシュ政権が、クリントン政権の作った規則を骨抜きに。私たちの国立公園は大丈夫か!」といった論調で、民主党と共和党、保護団体と業界団体、首都と地方といった対立軸がわかりやすくまとめられている。クリントン政権下の2000年にスノーモービルの全面禁止措置が定められたが、ブッシュ政権(2001年1月〜)になると、その決定は事実上覆される。訴訟合戦も始まり、こうした政権、法廷を巻き込んだスノーモービル規制問題が新聞紙上をにぎわしていたのだ。
一方、この規制は新聞記事が書くほど単純な話ではなかった。この問題の経緯を国立公園局の資料を基に簡単に振り返ってみたい。
国立公園局にとって、イエローストーン国立公園の冬季利用は長年の懸案事項だった。特に、スノーモービルの冬季乗り入れによるバイソンへの影響や、他の公園利用者への影響が懸念されていた。ただ、影響に対する科学的な裏付けはあまり充実していなかった。
1997年、「Fund for Animal(動物のための基金)」などが、国家環境政策法(NEPA)の不遵守などを理由に国立公園局を提訴した。同年10月に和解が成立したが、和解の条件として国立公園局は、イエローストーン国立公園、グランドティートン国立公園及びジョン D. ロックフェラージュニア記念パークウェイの3公園に関する新しい冬季利用計画を策定することを求められた。
2000年10月、国立公園局は「冬季利用計画最終環境影響報告書」(Winter Use Plans Final Environmental Impact Statement:通称「2000FEIS」)を取りまとめた。これをもとに、翌11月に、冬季利用に関する政策決定書(Record of Decision:通称「2000ROD」)を作成し、関係者に配布した。クリントン政権下でまとめられたこの2000RODには、3公園におけるスノーモービル利用を規制し、2003/2004シーズンまでにスノーモービル利用を全面的に禁止するという画期的な規制を盛り込んでいた。この規制が導入されれば、冬季の一般利用は、スノーコーチ(snowcoach:乗り合い型の雪上車)に一本化されることになる。規制案は、翌2001年1月に官報(Federal Resister)に掲載され、4月から発効する予定であった。
ところが、官報告示直前の2000年12月に、今度は、業界団体の「国際スノーモービル製造者協会(International Manufacturer's Association:ISMA)」などが、政策決定書(2000ROD)の差し止めを求めて内務省及び国立公園局を訴えた。この訴訟は2001年6月に和解が成立し、国立公園局は補助的環境影響報告書(Supplemental Environmental Impact Statement:SEIS)を作成することに同意した。補助的報告書(SEIS)には、前回の影響報告書以降に判明した新たな情報やデータを盛り込むことや、パブリックコメントの手続きを踏むことが求められた。
補助的報告書案は2002年3月に取りまとめられ、パブリックコメントに付された。冬季レクリエーション利用に伴う大気環境への影響や、職員の安全と健康、自然の音景観(soundscape)への影響、社会経済的変化、野生生物(特にバイソンとエルク)への影響、利用者の経験(visitor experience)のあり方などに関する再検討に限定されたものだったが、結果として大きな政策転換につながることになった。寄せられたパブリックコメントは実に35万7千件。いかに国民や業界の関心が高かったかがわかる。
ブッシュ大統領が就任したのは、それに先立つ2001年の1月。この方針転換は新政権の意向を汲んだものであると受け止められた。
この報告書を受け、国立公園局は、まず2001年1月に告示された規則の適用を1年間遅らせることを決定した。その結果、スノーモービルの全面規制は2004/2005シーズンに延期された。
加えて、補助的評価報告書案には、新たな選択肢としてスノーモービルの利用を認める政策オプションが盛り込まれた。この案では、排気ガス基準、騒音基準を設定した上で、イエローストーン国立公園に950台(ただし、乗り入れの8割はガイドツアーによる)、グランドティートンに190台のスノーモービルの乗り入れを認めるという内容だ。評価の結果、この選択肢についても重大な支障は認められないと結論付けられた。
このオプションは、2003年2月にとりまとめられた補助的影響報告書の確定版(Final Supplemental Environmental Impact Statement:FSEIS)でも継承され、事実上冬季のスノーモービル利用が容認されることになった。
2003年12月、国立公園局はこの報告書に基づき、あらたな冬季利用規制を定めた。利用者側の要求に妥協したものという印象も受けるが、内容を見てみるとなかなか画期的なものだった。
補助的環境影響報告書(SEIS)に基づく規制の内容
補助的影響報告書(SEIS)に基づく規制は、1日当たりの利用者数制限だけではなく、いくつかの対策メニューを組み合わせた「パッケージ規制」になっていた。
○規制のパッケージの内容
- 1日当たりのスノーモービル台数の制限によるスノーモービルの削減
- 最適技術(Best Available Technology:BAT)基準の適用
- 順応的管理プログラム(Adaptive Management Program)の実施
- ガイドツアーによる利用の促進
- 規制の段階的導入
- 次世代スノーコーチの開発
- 実施のための予算措置
また、規制の目標も明確に示されている。おもしろいのは、目標の第1項目が“自然環境への影響緩和”ではなく、“利用機会の確保”をうたっていることだ。
○冬季利用の目標
- 質の高い安全で教育的な冬季の経験をすべての利用者に提供する。
- 利用者と職員の健康と安全を確保する。
- 原生的な大気の質を守る。
- 自然の音景観を保護する。
- 野生生物への影響を緩和する。
- 公園入口の地域コミュニティーに対する経済的な負の影響を最小限にする。
1日当たりの台数制限
日本からの依頼でもっとも優先順位が高かったのが「スノーモービルの規制台数はどのように算定されているか」ということだった。依頼では、「定量的な環境容量(carrying capacity)」をどのように設定しているか」と聞いてきていたが、平たく言えば、乗入れ台数の算定根拠が知りたいということだ。
この2003年12月の規制では、3公園の合計で1日当たりの乗り入れ台数を1,140台と定めている。この数字は、過去に乗り入れられてきた台数の平均値(existing historical average)を基準に定められたものだ。エントランスやルートごとに、台数の上限が割り振られている【3】。
国立公園局では、これまでも各エントランスゲートで、冬季の乗り入れ台数を計測していた。地道なデータの蓄積が規制策の立案に生きるわけだ。具体的な乗入れ台数は、もっとも利用の多い西エントランスの歴史的平均値を上限とし、他のエントランスの利用状況を勘案して若干の増減を認めている。
この規制でもっとも効果が大きいと言われていたのは、いわゆる乗入れ台数の「ピークカット」ができる点。これまで台数制限がなかったため、ピークシーズンの特定のエントランスに利用が集中していた。それぞれのエントランスゲートに乗入れ枠を設定することで、利用の分散も期待できる。
さらに、おもしろいのは雪上道路(oversnow road)の状態を、利用による影響のインディケーター(指標)としていることだ。今回の規制では、スノーモービルは雪の積もった車道部分(=雪上道路)以外への乗入れは禁止される。そのため、乗入れ台数が増えれば、それだけ指定ルートのわだちが深くなり、道路の状態は悪くなる。その状態を指標として使うというわけだ。
最適技術基準(BAT)の適用
今回の規制のうち、最も特徴的なことは、この最適技術(Best Available Technology)基準、通称「BAT」がパッケージに盛り込まれていることだろう。
BATは、乗り入れるスノーモービルについて、「現時点でもっとも静かできれいなものであること」を求めている。つまり、最新型のスノーモービルで、騒音や排気ガスレベルがもっとも低いものを使用しなければならないことを意味する。
それまで、乗り入れ車両の多くが古い2ストロークエンジンの車両で、排気ガスの状態が悪く騒音が大きかった。2ストロークエンジンというと、日本では50cc未満のスクーターによく使われている。構造上、オイルとガソリンを混合して燃やすので、排気が汚くなりやすい。その一方で、小さい排気量であっても比較的大きな馬力が得られるという特徴がある。もちろん、4ストロークエンジンであっても、古くなればそれだけ排気ガスの状態も悪くなる。
そこで、この規制では、
- 公園内で使用されるスノーモービルの改善について国立公園局が製造者と協力していくこと
- 2003/2004シーズンは、炭化水素排出量の90%、一酸化炭素排出量の70%を削減することのできるすべてのスノーモービルをBATとする
- 現時点でのBATは、2002年製造、4ストロークのArctic Cat社製もしくはPolaris製である
と明確に定められている。このBATと認定されなければ、乗り入れることはできない。基準にメーカー名まで示されているのには驚かされる。
国際スノーモービル製造者協会(International Manufacturer's Association:ISMA)との和解の経緯から、製造業界に配慮した内容としているものと推測できる。つまり、製造者側にとっては、仮に台数が規制されたとしても、特定の新型スノーモービルが売れるのであれば、むしろ利益は増大する。また、いわば公的な“お墨付き”を得ることで、全米規模のスノーモービル販売にも悪い影響は決してない。国立公園局としても、予算をかけずに乗り入れ車両が更新され、より静かで排気ガスのきれいなスノーモービルに統一される。
順応的管理
順応的管理(Adaptive Management)も、この規制の大きな特徴のひとつだろう。乗り入れ台数の上限は、これまでの乗入れ実績からかなり単純に設定されている。それを補完するのが「順応的管理」だ。つまり、影響の有無を監視しながら、影響があれば利用を中止するなどの必要な対策をとることを、あらかじめ制度に盛り込んでいる。また、その影響を監視するための指標も設定されている。
暫定的に基準を設定し、モニタリングしながら対策をとったり、規制、基準の見直しを進めるということが、国立公園局の基本的な戦略のようだ。考えてみれば、客観的な「環境容量」なんてそうそう簡単に計算できるものではない。
一方で、このような基準の設定方法は、「影響がでなければそれでよい」とされる危険性もはらんでいる。そのためもあって、モニタリング情報の公開や閾値の設定、専門家のレビューの機会を確保する「オープンフォーラム(Open Forum)戦略」が採り入れられている。
○順応的管理の具体的な内容
- モニタリングと適応のための管理の目標は、長短期の公園の資源に対するマネジメントの影響を監視すること
- それぞれの冬季管理地域について、特定閾値(specific thresholds)を設定すること
- それぞれの指標について閾値が定められているか、もしくは仮説として定められていること
- それぞれの指標についてモニタリング方法と頻度が定められていること
- 閾値を越えた場合、管理のための対処方法(Management actions)が実施されること
- モニタリング結果、技術的専門知識、モニタリング技術、専門家によるレビューの結果を広く知らしめるための「オープンフォーラム(Open Forum)戦略」をとること
- 冬季間の重要な資源管理に関する対処方法とモニタリング方法は、政策決定書(ROD)に定めること
ガイド制度の導入
利用面でみると、「ガイドツアーによるアクセス(guided access)」、つまりガイド制度の導入は注目すべき点だ。国立公園局では毎年、ガイドに対する講習会を開催する。イエローストーン国立公園への乗り入れは、原則としてこの講習を受けたガイドが同行するガイドツアーに限定される。
ガイド講習会では、国立公園に関する知識に加えて、規制の内容や、様々な利用上のルールを習得する。例えば、利用客を縦一列に並べて走行させることや、「減速」「エンジン停止」「右方向に野生生物」などの情報を伝達する手信号などを学ぶ。
なお、この規制では、イエローストーン国立公園への乗り入れ台数の80%は商業的ガイドツアー、残りの20%は非商業的ガイドツアーによる利用とされていた。
規制の導入
この規制は、2度の冬季シーズンに渡って段階的に適用され、3年目に必要な変更を行う「段階的導入」の手法をとっていた。地元業者への影響に配慮したものである。
ところが、この規制案が決定された直後、「動物のための基金」からの訴えに対して判決を下した、ワシントンDC地方裁判所が異を唱えた。規制の導入をとりやめ、2000年の「冬季利用に関する政策決定書(2000ROD)」を施行することを命じたのだ。この命令(2000RODの施行)は、スノーモービル利用を段階的に減らし、将来は完全に排除することを意味する。この命令が適用されれば、その冬のシーズンの乗入れ台数は、3公園合わせても543台と、新しい規制案の半分以下になる。また、翌シーズンには乗入れが全面規制される。
これに対して、スノーモービル業界もいったんは和解に応じた裁判を再開した。この裁判を担当していたワイオミング地方裁判所は、イエローストーン及びグランドティートン国立公園の所長に対し、すべての利用者が公平に利用できるよう、「緊急命令(emergency order)」を発出するよう命じた。また、乗入れ台数は合計920台とすることを求めた。
その後、ワシントンDC地裁とワイオミング地裁は互いに相手方の命令を無効とし、自らの命令を施行するよう繰り返し求めるといった混乱した状況が続いた。その度にそれぞれの「応援団」が勝ち鬨(どき)を上げ、それをマスコミがとりあげるといった騒ぎが起きた。混乱の結果、規制導入が宙に浮いてしまった。
このような状況を打開するため、国立公園局は2004年に冬季利用計画に関する暫定的環境影響評価報告書(Temporary Winter Use Plan Environmental Assessment)を用意し、その後3年間の冬季利用ルールを定めた。これにより、イエローストーン国立公園740台、その他2公園140台の合計880台の乗入れが認められることになった。また、その間にその後の長期利用計画を策定することとした。
その後も訴訟合戦は続き、さらに複数の団体が新たな訴訟を起こしていた。事態を重く見た連邦議会は、予算関連法案の中などに3回にわたって、国立公園局によって定められた現在の暫定的な冬季利用計画が有効であることなどを盛り込んだ。その結果、両地裁及び多くの原告が訴訟を取り下げ、この問題は一応の収束をみた。
もうひとつ注目すべき点は、国立公園局の憲法ともいえる「管理政策書(Management Policy)」が2006年に改定されていることだ。改正前のものは、2001年にクリントン政権下で制定されたものだった。この改定でも、利用を重視するブッシュ政権の意向が強く反映されていると言われる。
中でも、「公園の価値の減損(impairment)」の定義にそうした姿勢が強く現れている【4】。
2006年の政策書では、「公園本来の資源や価値が損なわれること」と定義されているが、その価値の中に「現代及び将来の国民がそれら資源や価値を楽しむ機会」が含まれている。国民が公園を利用する機会を確保しないということも、公園の価値を損なうことを意味するわけだ。すなわち、イエローストーン国立公園の冬季利用も、影響がない範囲で利用を受け入れるべきということを、国立公園局がその基本方針に盛り込んだことになる。
国立公園局は、この暫定的な規制が運用されている間に、様々な調査・検討を行っている。2007年9月に発表された「拡大イエローストーン地域における冬季利用計画に関する経済分析(Economic Analysis of Winter Use Plan in the Greater Yellowstone Area)」では、それぞれの政策オプションに関する経済的な影響と具体的な金額などが記述されている。また、この規制が抱える市場失敗(market failure)【5】など、実際の規制案を策定する上で考慮すべき点などについても記述されている。
その他、モデリング報告書(経済、大気、騒音)、モニタリング報告書(音圧、音景観、大気及び水質、野生生物)なども多数取りまとめられている。長期にわたる利用計画を策定する素地がこうしてつくられていった。
なお、イエローストーン国立公園他2公園における冬季利用に関する資料は、以下のウェブサイトに掲載されている。
最終規則の決定
このような紆余曲折を経て、ようやく最終規則がとりまとめられた【6】。
最終規則では、1日当たりの乗入れ台数を、イエローストーン国立公園についてスノーモービル540台、スノーコーチ83台、グランドティートン国立公園及びパークウェイについてはスノーモービル195台、スノーコーチ10台と決定した。また、イエローストーン国立公園については、乗入れはすべてガイドが同行しなければならないこととされた。
こうして、イエローストーン国立公園の冬季スノーモービル規制は、ようやく最終規則が決定された。大々的なスノーモービルの台数規制としてはおそらく世界でも先進的なものだろう。世界初の国立公園であるイエローストーンは、今も国立公園管理のフロントランナーといえる。
軍隊による国立公園の管理
初期の利用者
初期の自動車利用の様子
- 【1】ビレッジ
- 国立公園内に設けられる施設区。ホテル、野営場などの宿泊施設、ビジターセンター、駐車場、ピクニックサイト、レストラン、売店などが集中的に整備されている。利用者はそこで自動車を降り、自然を探勝する他、休憩や買い物などをする。宿泊施設も充実しており、滞在型利用の拠点として機能している。ビレッジを計画的に配置することで、効果的な利用の分散を図ることができる。また、利便施設を一箇所にまとめて整備することによって、自然環境への影響を小さくするとともに、上下水道などのインフラ整備のコストを縮減することができる。イエローストーン国立公園には、Mammoth Hot Springs、Old Faithful、Canyon Village、Grant Village、及びLake Villageの5箇所のビレッジが整備されている。同様の施設区は、グランドキャニオン国立公園にも見られる(第10話参照)。
- 【2】イエローストーン国立公園に関する様々な資料
- イエローストーン国立公園の写真(国立公園局ウェブサイト)
- 【3】各エントランスまたはルートの利用上限
- 北エントランス:50
西エントランス:550
東エントランス:100
南エントランス:250
大陸分水嶺
スノーモービルトレイル:75
ジャクソンレイク:40
グラッシーレイクロード:75 - 【4】国立公園局管理政策書2006
- NPS Management Policies 2006(該当箇所:Section 1.4.7.1, 2006 NPS Management Policy)
- 【5】市場失敗(market failure)
- 例えば、スノーモービルによる大気汚染や騒音が登山利用者などに与える損失は、スノーモービル利用者にインセンティブが働かないために、補償されていないことなど。
- 【6】最終規則
- 最終規則は、連邦規則集(Code of Federal Regulation:CFR)の国立公園システムにおける特別規則として、2007年12月に告示されている。
<妻の一言>
〜イエローストーン国立公園〜
イエローストーン国立公園はワイオミング州の北西の端にあります。レッドウッドからはかなりの距離があるので、飛行機で行くことにしました。グランドティートン国立公園の南にあるジャクソン空港まで行き、そこでレンタカーを借りました。乗り継ぎもあり、結局ジャクソンに到着したのは夜でした。その日はジャクソンに宿泊しました。
翌日早朝、グランドティートン国立公園に向かいました。国立公園に入ると、ティートン山脈がまるで屏風のように、目の前にそびえています。手前を悠々と流れるスネーク川、険しい岩肌。山頂は雲間から見え隠れしていました。
ジャクソン側からは、国立公園の入り口ゲートが2箇所あります。ゲートは国立公園に少し入ったところに設けられているので、その手前部分は入場料金を支払わなくても利用できます。
ムースエントランスのすぐ手前にビジターセンターがあり、グランドティートン国立公園に関する情報がいろいろ入手できます。入場料金はさすがに高いものでした。金額は覚えていませんが、たしか20ドルくらいだったと思います(現在の入場料金は25ドル)。
ちょうど夏休みシーズンだったので、イエローストーン国立公園内のホテルはほぼ一杯。日程の3分の2はグランドティートンに宿泊することになりました。グランドティートン国立公園はイエローストーンに比べるとずっと小ぶりな公園で、正直なところあまり名前も聞いたことがありませんでした。
イエローストーンに行くことを上司のスタージアさんに相談に行ったときには、
「隣のグランドティートンもいいところよ。私は大好きなの。ぜひ行ってみてね」と勧められました。
他にも、レッドウッドの公園職員にグランドティートンファンが多いことがわかりました。
公園内にはまだ買収されていない集落地も残されているそうです。湖もダム湖だったりしますが、雄大な山と豊かな川があり、周回道路を回っていても飽きることがありませんでした。
グランドティートンでは、ブラックベアー、ハクトウワシ、ムース、オスプリー(ミサゴ)、ペリカンなどが至るところで観察できます。特に、スネーク川の「オックスボーベンド」というところは、動物がよくあわられるところで、私たちも何度も足を運びました。砂利道を運転して川岸まで行った時、ちょうど頭上をハクトウワシが旋回していました。その姿に見とれていると、突然川に急降下して大きな魚を捕まえるではありませんか! その魚をつかんで、対岸の木の枝で食べ始めました。私たちは、その後も1時間ほどそこでハクトウワシの様子を見ていましたが、あっという間に時間が過ぎてしまいました。
この公園では動物を見つけることは難しくありません。何台かの車が路肩に駐車していると、それが「動物発見」のサインです。ここでは、動物を見つけると、われ先に路上に車を止め、双眼鏡とカメラを抱えて飛び出すのが「ルール」のようでした。皆、他の車にはお構いなし。あちこちで突然渋滞が始まります。この渋滞がエスカレートすると、車両がすれ違えなくなり、完全に車両の通行が止まってしまいます。特に、ムースやクマのような大物が出てくると、周囲はものすごい状態になります。レンジャーが駆けつけ、交通整理を始めたこともありました。そして、その動物が見えなくなると、あっという間に渋滞は解消します。ですので、ちょっと路肩に車を止めると、「何かいたのか?」と他の車も集まってきてしまいます。不用意な路上駐車は避けた方がいいようです。
イエローストーン国立公園には、ジョン D. ロックフェラージュニア記念パークウェイという道路を通って行きます。イエローストーンの入口ゲート前は、さすがに自家用車の長蛇の列でした。入場料を準備していましたが、グランドティートンの入場券で入ることができました。
イエローストーン国立公園に入って驚いたのは、道の両側にある松の木が細くてひょろひょろしていることでした。気候が乾燥している上、森林火災は消火しない方針だからだということでした。
公園のあちこちからは温泉の蒸気が立ち上っています。オールドフェイスフル地区に行くと、あちこちに間欠泉があります。ガイザーというきれいな青色の温泉を湛えた泉も無数にあります。どれもものすごい熱湯で、日本のような入浴用の温泉はありませんでした。
宿泊したのはキャニオンビレッジというところにあるバストイレ付きのバンガローでした。
チェックインの時にカウンターで対応してくれた若いスタッフは、英語が少したどたどしく、話を聞いてみると、海外からのインターンだということがわかりました。
「国立公園で研修をしたかったんですが、空きがなかったので、コンセッション業者(ホテルなど公園内の施設の運営している契約会社)のインターンに応募したんです」
海外の学生にとって、こうした海外の国立公園での実務研修の機会はとても貴重なものに違いありません。
バンガローのあるエリアには、展望台がいくつもあります。イエローストーン川がいくつかの大きな滝になっており、天候さえよければ誰でもきれいな写真が撮れます。アーティストポイントというところの遊歩道や展望台には余裕があって、大きな駐車場もあり便利です。展望台からはミサゴの巣も見えました。
ちなみに、その滝のある渓谷の山肌が黄色っぽいことから、「イエローストーン」という名前がついたそうです。
また、この一帯にはバイソンが群れをなしています。道路脇でうずくまっていたり、車の直前を群れで横切ったりします。早朝から野生生物を探しに行ったときなどは、バイソンの群れが川を渡っているところを見ることができました。
キャニオンビレッジから北の周回道路は、ひたすら広大な自然景観の中を走ります。イエローストーン国立公園の大きさを実感するルートです。
今回の訪問では、スタージアさんからのアドバイスもあったためか、イエローストーン国立公園よりも、グランドティートン国立公園の方が楽しめたように思えます。グランドティートンは多少小ぶりで、気に入った場所に何度も足を運ぶことができました。バイソンはあまりいませんが、ムースやペリカン、ハクトウワシなど、いろいろな野生生物が姿を見せてくれます。何といってもティートン山脈がきれいで、展望台などからたくさん写真を撮ってしまいました。
イエローストーンとグランドティートンはとにかく見所が一杯で、またゆっくり行ってみたくなるような公園でした。
この記事についてのご意見・ご感想をお寄せ下さい。今後の参考にさせていただきます。
なお、いただいたご意見は、氏名等を特定しない形で抜粋・紹介する場合もあります。あらかじめご了承下さい。
(記事・写真:鈴木 渉)
※掲載記事の内容や意見等はすべて執筆者個人に属し、EICネットまたは一般財団法人環境イノベーション情報機構の公式見解を示すものではありません。
〜著者プロフィール〜
鈴木 渉
- 1994年環境庁(当時)に採用され、中部山岳国立公園管理事務所(当時)に配属される。
- 許認可申請書の山と格闘する毎日に、自分勝手に描いていた「野山を駆け回り、国立公園の自然を守る」レンジャー生活とのギャップを実感。
- 事務所での勤務態度に問題があったためか以降なかなか現場に出してもらえない「おちこぼれレンジャー」。
- 2年後地球環境関係部署へ異動し、森林保全、砂漠化対策を担当。
- 1997年に京都で開催された国連気候変動枠組み条約COP3(地球温暖化防止京都会議)に参加(ただし雑用係)。
- 国際会議のダイナミックな雰囲気に圧倒され、これをきっかけに海外研修を志望。
- 公園緑地業務(出向)、自然公園での公共事業、遺伝子組換え生物関係の業務などに従事した後、2003年3月より2年間、JICAの海外長期研修員制度によりアメリカ合衆国の国立公園局及び魚類野生生物局で実務研修
- 帰国後は外来生物法の施行や、第3次生物多様性国家戦略の策定、生物多様性条約COP10の開催と生物多様性の広報、民間参画などに携わる。
- その間、仙台にある東北地方環境事務所に異動し、久しぶりに国立公園の保全整備に従事するも1年間で本省に出戻り。
- その後11か月間の生物多様性センター勤務を経て国連大学高等研究所に出向。
- 現在は同研究所内にあるSATOYAMAイニシアティブ国際パートナーシップ事務局に勤務。週末、埼玉県内の里山で畑作ボランティアに参加することが楽しみ。