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No. アメリカ横断ボランティア紀行(第14話) ヨセミテ国立公園へ!
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Issued: 2008.01.10
ヨセミテ国立公園へ![6]
 目次
ヨセミテとセコイア・キングスキャニオンの違い
アメリカの国立公園管理の歴史 ──1960年代という時代──
謝辞など
ヨセミテとセコイア・キングスキャニオンの違い
セコイア・キングスキャニオン国立公園内の公園道路。ヨセミテと比べて細く片側一車線だ。

 ヨセミテ国立公園とセコイア・キングスキャニオン国立公園は、ともにシエラネバダ山脈に位置し、アメリカの国立公園の設立運動初期に設立されている。いずれも、氷河により形成された雄大な地形を持ち、その景観を守るために、ジョン・ミューア、シエラクラブをはじめとする多くの関係者が保護運動の展開に尽力してきた。その結果として、「国立公園」という当時としては世界に類を見ない制度が創設され、その制度は、後に世界の自然地域の保護に絶大な影響を及ぼすこととなった。
 ヨセミテもセコイア・キングスキャニオンも、国立公園としてそのすばらしい自然環境が守られてきたものの、2つの国立公園がたどった運命や管理方針には大きな違いがある。
 ヨセミテ国立公園は、サンフランシスコという巨大都市から近く、利水や電力などに対する需要を背景とする、強大な政治的圧力に常にさらされてきた歴史をもつ。その結果として、ヘッチヘッチーダムが建設され、また、シエラネバダを横断する道路(タイオガ・ロード)が国立公園内を貫き、スキー場もある。
 一方、キングスキャニオン国立公園では、ダム建設の計画が持ち上がったものの中断に追い込まれた。セコイア国立公園の隣接地域で計画されたスキーリゾート開発も頓挫し、現在その区域は国立公園に編入されている。また、公園を横断する道路も建設されていない。実際に公園を訪れてみても、ヨセミテ国立公園の大規模な周回道路のようなものはなく、地形的な要因もあって、道路幅員は狭く、曲がりくねっている。さらに、キングスキャニオン国立公園は、アメリカ国内でも先進的なバックカントリーの管理計画を立案してきたことでも知られている【18】

 1964年頃、バックカントリーの環境容量(Carrying Capacity;特定の自然環境が許容できるとされる人間活動の上限)の概念を取り入れた入山許可制度も取り入れている。この制度は、国立公園内に「入山許可区画」を指定して、各区画の入山者数を制限するもので、全米で初めての取り組みだったとされる。制度導入に先行して1960〜61年にかけて取りまとめられ、1963年に公表された「セコイア・キングスキャニオン国立公園バックカントリー管理計画(Back Country Management Plan For Sequoia and Kings Canyon National Parks)」には、「ウィルダネスとは」「国立公園管理における科学の必要性」「環境容量」「ウィルダネスの保護と個人の自由」などの方針が明確に打ち出されており、その後の他の公園におけるバックカントリー管理計画書の下書きともなったといわれている。一国立公園の管理計画を越えた画期的な計画書であり、また、この計画書の策定は、1960年代という国立公園行政の大きな変革の時代のひとつの象徴でもある。
【18】 A Back Country Management Plan For Sequoia And Kings Canyon National Parks
http://www.nps.gov/history/
history/online_books/anps/
anps_5b.htm
アメリカの国立公園管理の歴史 ──1960年代という時代──
 国立公園における「保護と利用の両立」という課題は、その制度発祥の地アメリカでも常に議論の的であった。その歴史を簡単に振り返ってみたい。
 1916年に設立された国立公園局の初代局長であるステファン・マザーと、その右腕であり後継者でもあるホラス・オルブライトは、国立公園システムの基礎を固め、組織の運営方針を明確にした。その方針は、多くの人々の予想に反し、利用(レクリエーション)優先ではなく、「人々のインスピレーションと教育(inspiration and education of the people)のために国立公園を管理していく」というものであった。これは、1918年に当時の内務長官名で発表された「政策方針書(policy statement)」の中で具体的に示され、「保護の優先」も打ち出された。
 ところが、その後も国立公園内では人間中心の自然資源管理方針がとられた。例えば、捕食動物の駆除(predator destruction)、通景線伐採(vista clearing of forests)、外来種の導入、及び殺虫剤・除草剤の公園内での使用などである。
 オルブライト氏は、局長就任後にも捕食動物駆除を否定し、公園をすべての生物種の生息地として保全することを主張した。また、同局職員で野生生物学者のジョージ・ライトは、1932年に「国立公園の動物相(Fauna of National Parks)」を自費出版した。同氏はこの書の中で、科学的な野生生物管理の原則と、政策決定をより適切なものにするためのさらなる調査研究のための制度導入を提唱した。この考え方に基づき、国立公園局内に野生生物課が創設され、ライト氏がその代表者に就任した。しかし、1936年の同氏急逝によって、取り組みは頓挫する。その後、ライト氏の思想の多くは無視され、利用に偏った管理が続けられることになった。
 一方、1933年にCCC(Civilian Conservation Corps:市民保全部隊)が、フランクリン・ルーズベルト大統領のニューディール政策の一環として組織され、失業者が国立公園などの公共施設建設に従事することになった。これにより、国立公園の基本的なインフラが急速に整えられた。同年、オルブライト局長は、「国立公園における調査研究(Research in the National Parks)」など一連の通達を行い、一貫した管理のために体系的な調査研究体制の必要性を明確に示した。しかしながら、このCCCによる公園の過剰整備や国立公園システムの急成長【19】などが逆に災いし、科学的情報の収集及び公園管理方針へのフィードバックの体制が確立されることはなかった。

 その後、第二次世界大戦による予算不足の時期などを経たものの、利用を優先した管理方針を採り続けたことが、国立公園局に対する国民の絶大な支持につながった。また、そのような大衆の人気に裏付けられた、大きな政治力を獲得することになった。その結果、同局は大規模な予算救済策である「ミッション66(Mission 66)」の獲得に成功した。1956年に開始されたこの事業は、総予算額10億ドルにものぼる一大プロジェクトで、国立公園における大規模な建設事業や開発事業が進められた。
 このミッション66は、大々的な触れ込みと楽観的な観測のもとに開始されたものの、数年のうちに批判の的になってしまった。直接の理由は公園の過剰整備であったが、その背景には保全生態学の発展や科学の飛躍的な進展があった。それまで、国立公園局は「趣の保護(preservation of atmosphere)」やその他の組織設立当時の思想に固執し、生態学的、科学的理論を受け入れようとしなかったと言われている。言い換えれば、風景(見かけ)にはそれほどの変化がないものの、生態系などに影響が生じていることやその因果関係が、科学的な調査により明らかになってしまったわけだ。
 それまで組織として風景管理やビジターサービスを優先してきた国立公園局では、こうした客観的で科学的な情報に基づく公園管理といった、新しい考え方についていくことができていなかった。ところが、一般国民の目には施設の過剰整備が明らかで、「国立公園局は、本当に公園を守ろうとしているのか?」といった本質的な疑問が呈された。
 このような批判を受け、国立公園局はようやく調査プログラムを立ち上げた。その結果とりまとめられた2つの重要な内部文書のひとつが、前出のセコイア・キングスキャニオン国立公園のバックカントリー管理計画であった。  もう一つの報告書は、1962年に発表された、通称「スタグナー報告書(Stagner Report)」である。この報告書は、1932年に発表されたライト氏の「国立公園における動物相」の内容を踏襲した形で、公園管理の原則がとりまとめられている。さらに、1963年には外部委員会による2つの相互補完的な報告書が発表され、上記2つの内部報告書が改めて外部有識者に認められる形となった【20】

 一方で、1960年代は、環境保全運動が大きな盛り上がりを見せたことを背景に、数々の環境関連法が制定された時代でもある。政府機関である国立公園局にも、その業務に様々な制約が生じることになった。これが組織の変革に拍車をかけた。
 1962年、レイチェル・カーソンの有名な著書『沈黙の春』が出版された。同書は、人間による自然や野生生物に対する深刻な影響を指摘し、大きな反響を巻き起こした。これをきっかけに環境保全運動が一気に盛り上がりを見せた。
 その2年後の1964年、ウィルダネス法(Wilderness Act of 1964)が制定された。これに対して国立公園局は、「国立公園は既に保護のために管理されており、ウィルダネス法の適用はその管理方針と重複している」と主張した。国立公園局がこの法律の国立公園への適用に後ろ向きだった背景には、ヨセミテ国立公園のタイオガ道路計画など大規模な道路建設計画などの予定があり、それらの事業実施の妨げが懸念されたという事情があったと言われている。
 1967年に制定された大気浄化法(Clean Air Act)は、公園保護の強化に貢献する一方で、公園管理者側としての規制遵守義務が生じた。翌1968年には、原生及び景観河川法及び国立トレイルシステム法が制定され、国立公園システムはさらに拡充し、複雑になった。
 1960年代を通してもっとも重大な影響を与えた法律は、何と言っても国家環境政策法(National Environmental Policy Act of 1969: NEPA)だ。この法律は米国の環境保護の基本憲章というべきものであり、各政府機関は環境への影響が最小になるような方法で自らの業務を行うことが求められることになった。連邦政府が実施するすべての開発事業について、潜在的な環境影響に関する調査を行った上で計画を策定することなどが求められる。この法律の画期的な点は、計画過程で一般に対し情報を公開し、事業に対するインプットを受けるプロセスを設けることが義務付けられたことである。このパブリックインボルブメントの原則義務化は、環境保全団体の影響力を飛躍的に向上させる結果となった。
 これらNEPAをはじめとする一連の環境法規によって外部圧力が高まり、国立公園局の業務の進め方は大きな方向転換を余儀なくされ、事業評価や評価を行うための科学的なモニタリング体制の整備が急ピッチで進められた。その一つの典型例が、ヨセミテ国立公園で行われているオープンハウスをはじめとするパブリックインボルブメントの取り組みといえる。

 シエラネバダ山脈に位置するこのヨセミテとセコイア・キングスキャニオンという2つの自然地域を舞台に、保護と利用や開発をめぐって様々な政治的抗争が繰り返されてきた。その抜き差しならない対立を経て、アメリカが世界に誇る「国立公園」という制度が実現した。その制度は完璧なものではないかもしれないが、こうしたさまざまな関係者の努力の歴史に触れるとき、アメリカの生み出した「国立公園」という制度は、国立公園の守る景観と同様にすばらしいものだと実感することができる。
【19】 国立公園システムの急成長
1933年の連邦政府の組織再編に伴い、全ての公園、記念物公園、戦跡、及び記念物が国立公園局の管轄の下に置かれることになり、現在の国立公園システムの基礎が整った。
【20】 外部委員会による2つの相互補完的な報告書(1963年)
「国立公園における野生生物管理に関する諮問評議会報告(Report of the Advisory Board on Wildlife Management in the National Parks)」は、その議長の名にちなみ通称「レオポルド報告書」と呼ばれている。この諮問評議会は、内務長官のステュワート・ユーダルが、イエローストーン国立公園におけるエルクの過剰摂食やその他の特定の野生生物関連問題について勧告を求める目的で組織したものの、評議会はその枠を大きく越えて、国立公園管理の基本思想を定義した。その思想とは、公園の第一の目的は、その地域を初めて白人入植者が訪れた時の、生命活動が相互に関連しあった状態を保つことである、というものであった。報告書はまた、このような管理上の優先事項を監督するための、常勤科学者をすべての公園に配置することを求めている。
 もう一つの報告書である「国立公園における調査研究に関する諮問委員会報告(Advisory Report on Research in the National Parks)」、通称「ロビン報告書」は、先のレオポルド報告書などにより提案された、国立公園における管理方針転換を促すものであった。
 このような動きを受けて、国立公園における大掛かりな科学調査活動及び「生態系保護(ecosystem preservation)」に向けて、徐々に国立公園局が舵を切り始めることとなった。
謝辞など
 なお、今回の原稿執筆にあたっては、上岡克己氏著「アメリカの国立公園」(築地書館, 2002)、ならびにLary M. Dilsave氏著「America's National Park System: The Critical Documents」(Rowman & Littlefield Publishers, 1994)を参考にさせていただきました。
・Lary M. Dilsave氏著「America's National Park System: The Critical Documents」(国立公園局オンラインブックス)
http://www.nps.gov/history/history/online_books/anps/

 また、セコイア・キングスキャニオン国立公園の部分につきましては、同公園の国際ボランティアとして約一年間勤務された寺井克之氏に全面的にご協力をいただきました。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。寺井氏は、国立公園のGIS専門家として活躍された後、昨年日本に戻られました。
<妻の一言>
   レッドウッド国立州立公園は1日10時間労働の4日勤務でしたので、2泊3日の小旅行ならいつでも出かけることができました。これに1〜2日の休暇を追加すれば、ちょっとした遠出もそれほど難しいことではありません。このため、レッドウッドに来てから、いろいろなところに「遠征」することが多くなりました。
  ただ、主人は、いつも研修報告書や役所からの宿題などの締め切りに追われていて、そうした準備はもっぱら私の担当でした。また、公園での作業予定がなかなか決まらないので休暇の予定が直前まで立たないことが多く、ホテルの予約などは大変でした。今回ご紹介したヨセミテ国立公園のように自家用車で行けるところなら、荷物を車に積み込んでしまえば準備も楽ですが、飛行機とレンタカーを組み合わせるとなるとさらに大変になります。

 旅行日程が決まるとまず天気を調べます。国立公園は特に天候の変化が激しいので、気温や天候などを注意深く調べます。服装や靴、雨具などの装備を決め、パッキングします。
ウェザードットコム(例 ヨセミテ国立公園)

  次に、道路情報を調べます。私はナビ役なので、地図やルートを事前に調べなければなりません。とりあえず、AAA(トリプルエー)に地図やガイドブックの送付を予約しますが、だいたい一週間で申し込んだもの一式が届きます。会員であればこのサービスは無料です。
AAAのウェブサイト(地図などのメニュー画面)

  運転ルート、距離、所要時間などは、マップクエストというサイトで調べます。
マップクエスト(例 レッドウッドからセコイア国立公園)

  次に取りかかるのは食料計画です。私たちは自炊が基本でしたので、食材や調理器具をいろいろと用意します。

 ところで、ヨセミテのブラックベアー(日本のツキノワグマに近い種類)による被害は想像以上に深刻なものでした。私たちはキャンプ場のバンガローに宿泊しましたが、食料用のロッカーが1つずつ割り当てられていました。

バンガローに備え付けられている食料品用のロッカー。食料品だけでなく歯磨き粉などにおいを出すものはすべてこの中にしまわなくてはなりません。
キャンプ場のロッカー。キャンプ用の食料などでいっぱいです。

 食べ物を車の中に入れておくと、ガラスを破られ食料をそっくり取られてしまうそうです。車の中に、おいしそうな(?)ポテトチップスやフライドチキンが散乱するアメリカ人の習慣からすると、むしろ自然な行動かもしれません。考えてみると、ここはシエラネバダ山脈のまっただ中に開けた盆地です。ブラックベアーにとっても絶好の棲家のはず。そこにおいしそうな食べ物を山のように持ってくるわけですから、ちょっと手を出してみたくなるのは自然なことといえます。

 ちなみにカリフォルニア州の旗にはクマが描かれています。これはヨセミテなどで見られるブラックベアーではなく、グリズリー(ハイイログマ)だそうです。グリズリーはカリフォルニア州の「州の動物」にも指定されているのだそうです。
  ところが現在、このグリズリーはカリフォルニア州内にはいません。1922年に、最後のグリズリーが現在のセコイア・キングスキャニオン国立公園のすぐ外側で撃ち殺されてしまったそうです。

カリフォルニア州の旗(カリフォルニア州政府ウェブサイト)
  旗には、グリズリーがデザインされています
カリフォルニア州の動物はグリズリーです(カリフォルニア州政府ウェブサイト)
カリフォルニア州の木(カリフォルニア州政府ウェブサイト)
  カリフォルニア州の木は、「カリフォルニア・レッドウッド」でした。これは、ジャイアントセコイアと私たちが働いてたレッドウッド国立公園のコーストレッドウッドの両方を指すそうです。

 大量の食材を食事のたびに毎回運ぶのは大変でしたが、そうした食料品の保管や出し入れが、このような国立公園が、もともとは野生生物の棲家だということを思い出させてくれます。ハイイログマのような悲しい歴史を繰り返さないためにも、こうした食料品のロッカーを使うということは意味があるのではないかと思いました。でも、ロッカーには隙間があり、においが流れ出しているでしょう。やはりクマにとっては、つらい状況にかわりはないのではないかと思います。

セコイア・キングスキャニオン国立公園ではブラックベアーを見ることができました。
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記事・写真:鈴木渉(→プロフィール

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