No.075
Issued: 2005.07.07
スイスの世界自然遺産〜アレッチ氷河〜
スイス南部にあるアレッチ氷河は、スイスで初めての世界自然遺産です。周辺に聳えるアイガー、ユングフラウなど4,000m級の山々とともに、2001年に世界自然遺産に登録されました。この地域では、70年ほど前からNGOが自然保護活動を繰り広げ、また、世界自然遺産登録を契機に、地元自治体によるエコリゾートづくりも始まっています。まずは、一面の氷の世界へ、ご案内しましょう。NGOが運営する自然保護センターや地元自治体の取組みなどもご紹介します。
スイス最初の世界自然遺産
アレッチ氷河は、ヨーロッパ・アルプス最大の氷河です。その全長は、なんと24km(東京駅から三鷹駅ぐらいまでの長さ)。遠くから見ると、ゆったりと白い川が流れているように見えます。
アレッチ氷河一帯は、2001年にアイガーやユングフラウなどの山々とともに、「ユングフラウ・アレッチ・ビーチホルン」地区として世界自然遺産に登録されました【1】。総面積540km2のうち、半分近くを氷河が占め、雪と氷、4,000m級の山々が壮大な風景を作り出しています。
【世界自然遺産】
世界遺産条約(世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約)では、人類にとって普遍的な価値を有する世界の文化遺産、自然遺産をリストアップし、各国が協力して守っていくことを目指しています。世界遺産には、文化遺産、自然遺産、複合遺産(文化遺産と自然遺産の両方の価値を持つもの)という3つのカテゴリーがありますが、このうち、自然遺産とは、世界的な見地から見て鑑賞上、学術上または保存上顕著な普遍的価値を有する特徴ある自然の地域、脅威にさらされている動植物種の生息地、自然の風景地等と定義されています。条約締約国が、世界遺産の候補地を「世界遺産委員会」に申請し、認定されると「世界遺産リスト」に登録されます。
世界全体で788カ所の世界遺産が登録されており、このうち、自然遺産は154カ所(2004年12月時点)。日本には12カ所の世界遺産がありますが、自然遺産は2カ所(白神山地、屋久島)。日本政府は、平成16年1月に知床を世界自然遺産候補地として推薦しており、今年(平成17年)7月に南アフリカで開催された世界遺産委員会で登録が決定されました[編註]。
[編註] 掲載当時は未定でしたが、7月14日に登録が決定しました。
自然解説付き氷河トレッキングに挑戦
「アレッチ氷河を展望台から見て終わりにするなんて、もったいない。ぜひ、自分の足で氷河を体験してくださいよ」。宿の人の薦めもあり、氷河トレッキングに挑戦してみました。
案内して下さったのは、山小屋を経営しながら、山岳ガイドもしているアルト・フレーさん。フレーさん、スイスでは有名な元プロ・スキーヤーでもあります。
氷河トレッキングといっても、ただ氷河の上を歩くだけではありません。地元育ちのフレーさんによる自然解説付きです。「子どもの頃は、家の手伝いで、この辺りによくヤギを連れてきたもんだ。途中でお腹が減ると、ハーブを摘んでおやつにしたものさ」というフレーさんにとって、この辺りの自然は、庭のようなものなのでしょう。氷河まで行く森の道すがら、「そこに生えているのは、シルト・アムファーっていうハーブの一種で、ちょっとピリッとして酸っぱくて美味しいんだ」、「そっちのは薬草。虫刺されによく効くよ」と山里の生活感あふれる解説をしてくれます。
アレッチ氷河を歩く
アレッチ氷河に到着すると、参加者全員の腰にザイルを結びつけ、歩き始めます。
遠くから見るとなだらかに見える氷河ですが、近くに来ると、山あり、谷ありと、かなり起伏があります。ぱっくり口を開けたクレバスは、深さ3mぐらいはあるでしょうか。その底に光る、コバルトブルーの水の美しいこと!
ところで、氷河の上は、生き物など何もいないような氷の世界なのですが、フレーさんによると、わずかに生き物が棲息しています。それは、「グレイシャー・フリー(直訳すると、“氷河の蚤”)」と呼ばれる、小さなトビムシの一種だそうです。「冬は冬眠しているけれど、夏になるとぴょんぴょんとはねるのが見えるよ」とのこと。広大な氷河に生息しているのが、小さな蚤とは、なんとも不思議な取り合わせです。
長い長いアレッチ氷河ですが、かつてはもっと長かったと言います。140年前は、今より3km以上長かったそうです。毎年20mも縮んでいく氷河。「地球温暖化の影響かな。このままだと、もっと短くなっちゃうね」とフレーさんも危機感を募らせています。
NGOが運営する自然保護センター
アレッチ氷河の南に広がる森には、スイス国内最大の環境NGO「プロ・ナチューラ」【2】が運営するアレッチ自然保護センターがあります【3】。現在、世界自然遺産となっているエリアで自然保護を最初に訴えたのは、プロ・ナチューラでした【4】。
1976年にオープンしたセンターは、イギリス人の貴族の別荘を買い取って改装した、素敵な建物です。古い洋館の趣が残る館内には、氷河の模型や動植物の展示、図書コーナーなどがあります。中でも、アルプスのアイドル「マーモット(大型のモルモットのような動物)」の暮らしを体験できるコーナーが、子どもたちにちょっとした人気でした。耳をつけて、巣穴にもぐりこめば、気分はすっかりマーモット(外でうろうろしている天敵のキツネにドキドキ)。スタッフ手作りのユニークな展示です。
なお、屋外には植物園もあり、アルプスの高山植物について学ぶことができます。
センターでは、アレッチの動植物などをテーマにした環境学習プログラム(週末や1週間)やガイドツアーも実施しています。学校の遠足での利用も多いようです。
エコリゾートを目指す地元の地方自治体
世界自然遺産の指定に際して、地元の15町村は、ユングフラウ・アレッチ・ビーチホルン地域の持続可能な発展を目指す「コンコルドプラッツ憲章」【5】を制定しています。この憲章は、将来の世代に環境の豊かさや多様性を伝えるような形で地域づくりを進めることを15町村が自ら宣言したものです。
実は、世界自然遺産になるまでは、連邦環境省やプロ・ナチューラと地元との間で、長い調整の歴史がありました。世界自然遺産を目指す構想は1970年代からあったのですが、経済活動の足かせになるという地元の町村や住民の反対もあり、世界自然遺産区域の境界線をめぐる交渉が難航したためです。四半世紀に及ぶ話し合いの末、「自然保護か、地域の発展か」という二元論を乗り越えて地元の人々がたどり着いたのが、持続可能な地域づくりを掲げるコンコルドプラッツ憲章でした。
現在では、この憲章の精神を具体化するため、アウトドア・レクリエーションの管理や観光客への情報提供、昔ながらの放牧風景の維持などに関する様々なプロジェクトがスタートしています。
また、アルプスの澄んだ空気を守るため、電気自動車の利用も進められています。氷河トレッキングの起点となるリーダーアルプやベットマーアルプなどの集落では、電気自動車以外の自動車を利用することができません。
世界自然遺産に登録されてからは、アレッチ氷河の知名度が上がり、訪れる観光客も増えたと言われます。夏の間だけでも、5万〜7万人の人がアレッチ氷河にやってくるのだとか【6】。エコリゾートを目指す地元の取り組みは、これからが本番です。
- 【1】スイスの世界遺産
- スイスには、2つの世界自然遺産((1)ユングフラウ・アレッチ・ビーチホルン、(2)サン・ジョルジオ山)と、4つの世界文化遺産((1)ベルン旧市街、(2)ザンクト・ガレンの修道院、(3)ミュスタイアのベネディクト会聖ヨハネ修道院、(4)ベリンツォーナ旧市街の3つの城等)がある。
- 【2】プロ・ナチューラ
- 1909年に設立された、スイス国内最大の自然保護団体。現在の会員数は約10万人。本部は、スイスのバーゼルにある。
- 【3】アレッチ自然保護センター
- この別荘を所有していたカッセル卿の名前から、通称、ヴィラ・カッセル(ヴィラは英語で邸宅、別荘の意味)と呼ばれている。
- 【4】
- 1933年に、スイス自然保護連合(プロ・ナチューラの前身)が、アレッチ氷河南部の森林を借り受け、保護区を設置したのが最初。その後、1983年に、連邦自然・文化遺産保護法に基づいて、地域全体が、国の重要景観・天然記念物目録に登録されている。
- 【5】「コンコルドプラッツ憲章」
- 「コンコルドプラッツ」とは、ユングフラウ山、メンヒ山などから流れ出る4つの氷河の合流地点で、アレッチ氷河が始まる場所の名前。同憲章では、持続可能な管理と利用、市民による意思決定過程への参加や、情報および継続的な学習機会の提供など、9項目を定めている。
- 【6】
- ユングフラウヨッホの展望台からアレッチ氷河の発端部分だけを眺める観光客は数に含まれていない。アレッチ氷河全体が見える、ヴァレー州側(ユングフラウヨッホの展望台とは山を隔てて反対側)からアクセスした観光客の数。
関連情報
- ユネスコ世界遺産について(英語)
- プロ・ナチューラ アレッチ自然保護センター(英語)
- プロ・ナチューラについて(英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語)
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(記事・写真:源氏田尚子)
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