No.009
Issued: 2001.09.05
キジうちとお花摘み
登山用語で、便用を足すことを“キジうち”と表現することがあります。小は「小キジ」、大は「大キジ」、女性の場合は「お花摘み」ともいいます。
これは、用を足すためにしゃがむ格好が、ちょうど猟師が茂みに身を隠して雉を狙う仕種や、草花に埋もれて花を摘もうとしゃがんでいる姿に見えるためといわれます。
近年、山におけるし尿処理やトイレの問題が注目を集めています。今回は、山のトイレ問題について取り上げてみました。
富士山頂のバイオトイレ
先日、富士山頂のバイオトイレの設置が大きな話題になりました。
富士山には、開山期中に5合目までは数百万人、山頂へも約30万人が毎年登っていると言われています。一方、山小屋・休憩所などに56ヶ所のトイレがあり、膨大な量の排泄物が吐き出されていますが、これらのうち6割以上が山肌に垂れ流す放流式であり、残りの大半がそのまま土壌に染み込ませる浸透式との推計もされているなど、環境保全の観点からも問題にされてきました。
こうした状況への対策の一環として、特定非営利活動法人「富士山クラブ」【1】では、山頂バイオトイレ設置ボランティアを募集し、総勢480人以上の参加があるなど大きな話題となりました。同クラブでは、山頂に駐在するボランティアも募集しており、設置期間中の管理や、趣旨を登山者に説明するなどの活動もしています。頂上駐在ボランティアの“糞闘ブリ”(原文より)は、ホームページ上でも報告されています【2】。
「富士山クラブ」の取り組みは、多数のボランティアを募って大々的に宣伝されたため大きな注目を集めましたが、この他にも行政や山小屋などが地道に山のトイレ問題に取り組む例が多数見られます。
富士山におけるトイレ問題への取り組み
富士山のトイレ問題については、古くからさまざまな取り組みがされてきています。
平成7年1月には、環境庁(当時)や山梨県・静岡県など関係行政機関の参加による「富士箱根伊豆国立公園富士山地域環境保全対策協議会」が設置され、平成10年3月に「富士山地域環境保全対策要綱」が策定されています。対策要綱は、協議会に関わる関係行政機関の相互協力、連携による、より効果的な環境保全対策を進めるための指針として位置づけられている「各種対策の実施方針」と、富士山利用者のルールとして環境保全への協力を呼びかける「富士山カントリーコード」をあわせて定めたものです。
こうした取り組みを通して、平成7年度の環境庁(当時)補正予算では、富士山公衆トイレ整備直轄事業として4億円を計上し、山梨県側では富士山下山道七合目に乾燥式のものが、静岡県側には富士宮口五合目に水洗・循環式配管方式の公衆トイレがそれぞれ設置されています。
平成9年度夏の調査では、これらのトイレの利用者数は、
山梨県側:7/8〜8/28 利用者約25,000人
静岡県側:7/1〜10/12 利用者約74,000人
と算出されています。
平成10年11月には、山梨・静岡両県が「富士山憲章」【3】を制定し、「日本のシンボルである富士山を世界に誇る山として、後世に継承するための全国的運動の原点」とすることとしています。
山におけるし尿処理の実態
山岳地におけるトイレのし尿処理問題は、登山道の踏圧による植生への影響や侵食などと併せて、登山者や観光客の集中によるオーバーユースの問題として大きくクローズアップされています。
自然のフィールドにおけるトイレの問題は、トイレが未整備な地域では当然のことながら場所を選んで用を足す、いわゆる「野糞(野外排便)」となります。簡単な囲いを即興で作ってトイレにするケースなどもありますが、いずれにしろ排泄物の処理は自然の浄化作用に任せたものです。
山小屋などに設置されているトイレでも、処理の現状はこうした自然の浄化作用に任せたものの延長線上といえます。
多くが、崖の下や森の中などに排泄物を放流したり、穴を掘って地下に浸透させたり埋め立てるといった、周辺での処分が伝統的に取られてきました。
註:オーバーユース
あえて日本語に訳せば「過剰利用」。山岳地帯などの自然フィールド等で、利用が集中することによって起こるさまざまな悪影響のことを指す概念として使われています。
山のし尿問題は、入山者のし尿の総量と自然の浄化能力とのバランスの問題とも言えるわけです。
環境省では、平成13年2月23日〜3月8日にホームページ上で国立公園に関するアンケートを実施しています。
(5)「国立公園のあり方等に関する考え方」について、3)「国立公園におけるオーバーユースに対する措置」〔問26〕
についても質問しており、「何らかの利用制限を講じることについては肯定的」との結果が取りまとめられています【4】。
人気の高い山岳地帯が多い長野県では、平成11年12月に県の関係部署で組織する「山小屋し尿処理研究会」が県内197施設を対象に、し尿処理の実態および意向調査を実施し、157施設から回答を得ています【5】。これによると、約半数の77施設(49.0%)が山岳地帯にし尿を投棄する「自然浸透」処理をしており、その他バキューム処理が46施設(29.3%)、浄化槽が18施設(11.5%)、ヘリ輸送が7施設(4.5%)という結果が出ています。
また、「山のトイレさわやか運動本部」が全国の山小屋1257軒を対象に平成10年5月に実施したアンケート調査でも、回答件数は182件(回答率14.5%)と少ないものの、約半数の51%が周辺での処分(うち浸透式が49%、埋立式が32%、放流式が13%)で、山麓への搬出は31%(内訳はバキュームカーが74%、ヘリ輸送が18%、人力とその他がそれぞれ約3%)にとどまっています。
一方、信濃毎日新聞社のアンケートでは北アルプスの山小屋の約9割が処理しないまま小屋周辺に投棄している(うち半数が穴を掘って投入する「埋め立て」式、残り半数がガレ場や沢筋に投棄する「放流」式;回答件数44軒)ともあります。
し尿処理の実態を生々しく報道する記事も幾つか拾えます。
信濃毎日新聞社では、北アルプスのし尿処理についての連載記事を99年7月から2000年6月にかけて掲載しています【6】。
小屋裏にポンプで流し込んだし尿のヘドロの沼ができている状況(常念小屋)や、ガレ場に放流して一冬置いて乾燥させたものに軽油をかけて焼却している作業の様子(白馬村営山頂宿舎)、埋め立て後の便所跡地で植生に影響が出ている状況(八ヶ岳連峰の黒百合ヒュッテ)など、普通にはうかがい知ることのできないような状況が描かれています。
また、岩手日報社のニュース最前線「早池峰山の山頂トイレ問題」(2000年6月16日夕刊)では、岩手県の早池峰山の山頂トイレのし尿の担ぎ下ろしを1993年から続けている勤労者山岳連盟のボランティアの活動状況についても紹介されています。
汚染の実態
こうした山でのし尿処分が、清流とみなされていた沢水の水質を汚濁していると指摘する調査結果も出されています。
ボランティアによる自然保護団体(NPO)である「南アルプス倶楽部」では、平成8年より北岳を中心とする渓谷の水質調査を実施しています。結果は、複数地点での大腸菌群の検出など、飲用に不適との判断もあります。
また、「山のトイレさわやか運動本部」が全国の山岳団体等に呼びかけて2000年夏に実施した山岳地における水質調査では、全国163地点でシーズン前・シーズン中・シーズン後の3回を基本に定点観測し、アンモニア性窒素・硝酸性窒素・亜硝酸性窒素・COD・大腸菌など11項目について調査し、大腸菌群が72地点で検出されるなどの結果を得ています。同運動では2001年夏にもより多くの参加団体を募り調査を継続しています。
上記の調査に参加協力している北海道大学の愛甲さん等が、北海道の大雪山をフィールドした研究も公開されています。この研究では、トイレ施設のない山小屋やテント場の周辺の実態や自然への影響等について、現地調査やアンケート調査等を行っています。
問題解決に向けて
山のトイレ問題への対策には、関係各主体によってさまざまな取り組みが始まっています。
南アルプス倶楽部では、南アルプス北部周辺で「携帯トイレを使ったし尿持ち帰り運動」等の活動を呼びかけ、入山口などで携帯トイレの配布などを行っています(し尿持ち帰り運動は、一定の成果を得たとして平成12年7月で終了しています)。
山のトイレ問題に関するシンポジウムも各種実施されています。
1998年6月には「第1回全国山岳トイレシンポジウム」が日本トイレ協会・山梨県の主催で、1999年11月には信濃毎日新聞社が「山のし尿問題を考えるシンポジウム」を主催、また2000年3月には日本トイレ協会主催の「山のトイレ事例発表大会」が、2000年11月に日本山岳会科学委員会・自然保護委員会主催の「山岳環境保全シンポジウム」、2001年5月には「第2回全国山岳トイレシンポジウム in 松本」(主催:日本トイレ協会、松本市)などが相次いで開催されています。この他、北海道では、山のトイレを考える会が「山のトイレを考えるフォーラム」を第1回を2000年8月29日に、第2回を2001年2月3日に実施しています。
環境省でも、平成11年度第二次補正予算から、山岳環境浄化・安全対策緊急事業費補助(事業費1億円)を実施しています。平成12年度補正でも1億5千万円が計上されたのを受け、平成13年度には森前首相が提唱した「日本新生特別枠」として当初予算に5千万円を計上しています。
従来から、「国立公園トイレリフレッシュ事業」として直轄もしくは都道府県・市町村への委託によるトイレ整備の公共事業を行ってきていますが、民間施設の事業に対しても公費が投入されるこの事業は、山のトイレの公共性を認めるものといえます。
この他、山梨県では、平成11年度に幸住県計画第2次実施計画の推進の一環として、喫緊の課題となっている山岳環境の保全対策について高山地帯に適したトイレの研究・実証実験の実施と併せて、成果を「山岳トイレマニュアル」としてまとめることとしています。
また、富士山トイレ研究会では、富士山にふさわしいトイレのイメージを中間報告に盛り込んでいます。
これらはトイレ施設等のハード面についてですが、欧米などでは自然フィールドにおける排泄物の処理の仕方や基本的な考え方などソフト面のマニュアルや指針などが用意されています。
米国の非営利教育団体「Leave No Trace」は、排泄物の適正処理についての解説した教材を発行しています。また、グランドキャニオン国立公園では、川旅をする際には排泄物を必ず持ち帰ることを入山の要件としています。
山には、「何も持ち込まない(持ち込んだものは持ち帰る)、持ち出さない」が基本だとされています。山のし尿処理も、人が入ってこなければ起こらない問題だからこそ、入ってくるからには責任もって処理を考えるべきだというのが、携帯トイレの使用や、早池峰山の担ぎ出しボランティアなどによる搬出活動のそもそもの発想になっています。
一方で、古くは肥料にしていたし尿が、汚物として「見ない、見せない、真正面からは考えない」という風潮を西洋の科学や衛生観念が植え付けたとする見方もあります。山小屋で伝統的に取られてきたし尿処理の方法が、「自然界のあるべきリサイクルの原点」ともみなされていたのは、こうした「し尿観」があったからだといえます。
北アルプスの三俣山荘では、し尿処理を富山県の業者に見積もってもらった試算があるそうです。
ひとシーズンに出るし尿の量が3トン、これを便槽からバキュームポンプで吸い上げるには水で薄める必要がある、結果、総量は15〜16トンにもなるといいます。ヘリコプターで搬出するのに、調査も含めて40回飛んだその燃料が4トンもかかったそうです。3トンのし尿を処理するのに4トンの燃料を使うという現実。山小屋の立地環境等によって状況や処理の仕方も変わってくるので一概に比較はできないでしょうが、山のし尿問題を解決するために、他のより深刻かもしれない問題を引き起こすとしたら本末転倒ではないかという見方もあるわけです。
山のトイレ問題を考えるということは、単に自分の遊ぶ庭先(遊び場)をきれいに保つというだけではないのです。山の自然保護を考えるということは、とりもなおさず地球自体の持続可能なあり方を考え、実践することにつながるといえるわけです。
- 【1】特定非営利活動法人 富士山クラブ
- 認定特定非営利活動法人 富士山クラブ
- 【2】富士山頂バイオトイレ糞闘記
- 【3】富士山憲章
- ・富士山憲章/富士の国やまなし観光ネット 山梨県公式観光情報
・静岡県/富士山憲章 - 【4】国立公園に関するアンケート調査結果(環境省)
- 国立公園に関するアンケート調査結果
- 【5】信濃毎日新聞
- 「県内山小屋のし尿処理、半数が林地などに直接投棄」(2000年6月30日)
- 【6】信濃毎日新聞連載記事「北アし尿処理」
- ・北アし尿処理(1)小屋の裏手…ひっそり「ヘドロの沼」(1999.7.20)
・北アし尿処理(2)「ため置き」−ガレ場に放流 乾かし焼却(1999.7.21)
・北アし尿処理(3)トイレの跡…枯れるシラビソ 影響どこまで(1999.7.22)
・北アし尿処理(4)ハエ・ウジ退治に殺虫剤 やめられぬ矛盾(1999.7.23)
・北アし尿処理(5)沢水の汚染…投棄との関係は? 「対策に目を」(1999.7.24)
・北アし尿処理(6)分別どころか異物も投棄…マナーどこへ(1999.7.25)
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(記事:下島寛、イラスト:中川恵子)
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