一般財団法人 環境イノベーション情報機構

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エコチャレンジャー 環境問題にチャレンジするトップリーダーの方々との、ホットな話題についてのインタビューコーナーです。

No.007

Issued: 2012.07.06

山階鳥類研究所 尾崎清明 副所長に聞く、トキ・アホウドリ・コウノトリと人間との関係の歴史

尾崎清明(おざききよあき)さん

実施日時:平成24年6月6日(水)14:00〜14:30
ゲスト:尾崎清明(おざき きよあき)さん
聞き手:一般財団法人環境イノベーション情報機構 理事長 大塚柳太郎

  • 山階鳥類研究所 副所長
  • 保全研究室室長・上席研究員、保全研究室の統括、標識調査講習会担当、アホウドリ保全プロジェクトリーダーを歴任
  • 趣味は、シュノーケリング、アクアリウム
目次
日中のコラボレーションでトキを保護 野生生物でははじめてのケースだった
第二世代まで見届けることで、人の手から完全に離れて自然の中で再生産できることになる
野生であれば(相手が)気に入らなければ移動すればいいのに、ケージの中だと逃げ場を失ってしまう
子孫を残していけることに重きを置いた保護をしないと、次世代が生まれず結局は絶滅につながっていく
人間の営みの原点に立ち返って、今までとは視点を変えて自然をみることが広がってほしい

日中のコラボレーションでトキを保護 野生生物でははじめてのケースだった

大塚理事長(以下、大塚)―  本日はお忙しい中、EICネットのエコチャレンジャーのインタビューにお出ましいただきありがとうございます。尾崎さんは、山階鳥類研究所の副所長および保全研究室長として、まさに第一線で活躍されておられます。今日は、最近大きな話題になっているトキをはじめ、人間と野生鳥類との関係の歴史、さらには私たちが野生鳥類あるいは野生動物とどう付き合っていくべきかについて、お話しを伺えればと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。
 トキについては、日本で絶滅し、中国産のトキを佐渡島で飼育繁殖させ放鳥したヒナが生まれ、順調に成長し、放鳥後に餌もついばむところまできましたが、トキとのお付き合いが長い尾崎さんには感慨深いものがあると思います。

尾崎さん― 私がトキにかかわりだしたのは1979年です。当時の環境庁のプロジェクトで、佐渡に残っていた野生の5羽を捕獲する目的で調査に行ったのがはじめでした。そして捕獲にも成功しました。同じ年に中国でトキが発見されて、1986年に日本人としてはじめて中国の生息地にはいりました。それは、日中間でトキを保護する、JICA(国際協力機構、当時は国際協力事業団)のプロジェクトの下準備でした。

ロケットネットによるトキ捕獲(1981.1.11)

ロケットネットによるトキ捕獲(1981.1.11)


最初のトキの放鳥(2008.9.25)

最初のトキの放鳥(2008.9.25)

大塚― 日本では佐渡島のことばかりが話題になっていますが、中国におけるトキはどのような状況だったのでしょうか。

尾崎さん― ご承知のように、中国でも一度絶滅したと思われていたのですが、1981年に2つのつがいが発見されました。ですから、10羽もいなかったトキから、今では千数百羽になったのです。日本が果たした役割も大きかったと思います。日本で数が減ってきて最後に捕獲せざるを得なくなった歴史を、中国で繰り返さないという思いがありましたし、日本の良かったことと悪かったことを中国の方々に学んでいただいたと思います。

大塚― 日本と中国とのコラボレーションは珍しかったでしょうね。

尾崎さん― 野生生物でははじめてのケースだったと思います。山階鳥類研究所の創設者の山階芳麿は、50〜60年前からトキを保護すべきと政府に進言していました。彼は、スイスのバーゼル動物園で行われていたトキ類の人工餌の研究データを集め、飼育して数を増やし野生に戻すべきと主張したのです。

大塚― 山階鳥類研究所の念願が叶ったということですね。ところで、佐渡島でご苦労されたときと比べ、現在の状況は随分違ったのでしょうか。

尾崎さん― 最後にトキが残っていた小佐渡という地域は、非常に急峻で狭い棚田があるところでした。その当時に比べると、環境も変貌しましたけれども、大きく変わったのは人びとの気持ちだと思います。トキが生息するには、水田が人間のためだけではなく、餌になる生物が沢山いなければならないのですが、多くの人びとがこのことを理解されはじめています。そういう意味で、大きく変わってきたと思います。

第二世代まで見届けることで、人の手から完全に離れて自然の中で再生産できることになる

鳥島のコロニーからアホウドリのヒナを移送(2008.2.19)

鳥島のコロニーからアホウドリのヒナを移送(2008.2.19)


移送先の聟島で成長した雛たち、手前はデコイ(2012.5.8)

移送先の聟島で成長した雛たち、手前はデコイ(2012.5.8)

大塚― 尾崎さんは、山階鳥類研究所のスタッフとして多くのプロジェクトにかかわってこられました。トキの話にはまた戻っていただくこともあると思いますが、もう1つ大きな話題になったアホウドリについても、歴史的なことを含めお話しいただけますか。

尾崎さん― アホウドリも一度は絶滅したといわれ、1951年に再発見されました。10羽に満たない数でしたので、どうやって増やせるかが問題でした。幸い、トキと違って、アホウドリは絶海の孤島に生息しています。もちろん数を減らしたのは人間のせいですが、その後は人びととのかかわりはほとんどありませんでした。東京の600キロ南にある伊豆鳥島で繁殖していますので、人間の影響を考える必要はなく、繁殖環境を改良することを試み、それが功を奏して徐々に数が増えてきたのです。今私どもが一番懸念しているのは、鳥島が火山島ということです。100年に3回くらい噴火しています。そのため、火山島でないところに繁殖地が必要なのです。

大塚― そのためになされた移住作戦について伺う前に、鳥島という人間の手が加わっていない孤島で、どうして数が減ったのかお話しいただけますでしょうか。

尾崎さん― アホウドリには哀しい歴史があります。アホウドリという名前のとおり、簡単につかまってしまうのです。鳥島だけでなく小笠原でも大量に捕獲され、その羽毛は輸出されていました。アホウドリは1年に1個しか卵を産みませんし、生まれてから卵を産むまでに5年以上かかります。ですから、一度数が減ると元に戻るまでにすごく時間がかかるのです。

大塚― わかりました。それでは、新しい作戦をご紹介ください。

尾崎さん― ひとつ加えますと、実は鳥島の中でもたまたま残っていた所は人間が近づけないほど急峻で、アホウドリにとっても卵が転がるとか、崖崩れでヒナが埋まる厳しい環境です。それで、鳥島の中のなだらかで植物が生えている所への引っ越し作戦をはじめました。それほど距離はなかったのに、デコイ(模型のアホウドリでおびき寄せる方法)を使って移動させるのに十数年もかかりました。しかし、この初寝崎(はつねざき)と呼ぶ新しいコロニーでは現在100を超える巣ができています。
 さらにかつてアホウドリがいた小笠原に戻そうと考えました。それにはデコイだけではむずかしいので、ヒナを運び、そこで育ててから巣立たせることにしました。鳥には帰巣本能がありますので、4〜5年経って、鳥島ではなく引っ越し先の小笠原諸島の聟島(むこじま)に帰ってきてもらおうという作戦です。実際、聟島から巣立ったアホウドリの若鳥が何羽か帰ってきましたので、数年後には繁殖を始めると期待しています。

大塚― 記録映像を観ても、感激するような場面が沢山ありました。尾崎さんの目からみて、移住作戦は順調に進んだということでしょうか。

尾崎さん― 鳥島の中ではなかなか数が増えなかったのですが、今回の聟島での作戦は順調に進んでいると思います。

羽ばたく巣立ち直前のアホウドリの雛(2012.5.8)

羽ばたく巣立ち直前のアホウドリの雛(2012.5.8)

聟島でヒナに給餌する(2012.5.10)

聟島でヒナに給餌する(2012.5.10)


大塚― 鳥島と小笠原の聟島への移住も含め、今後どうなるのでしょうか。

尾崎さん― ヒナが育ち成長して卵を産むまでに5年以上かかります。この冬、最初のヒナから数えて5年目になります。今年の10月以降ですが、何羽が戻ってくるかを確認したいと思います。捕まえるのではなく、遠くから眺めて各個体の足環を確認し、どのくらいの頻度で帰ってくるか、ペアがうまくできているかなどをモニタリングします。それには、現地に出かけて観察するとともに、衛星カメラを設置していますので、リモートコントロールで動かしてアホウドリを観るのです。足環も確認できるくらい優秀なカメラなので、アホウドリをじゃませずに観察していきたいと思っています。

大塚― 見通しはいかがですか。

尾崎さん― われわれが目指しているのは、トキと同じですけれども、戻ってきた若鳥が卵を産み、次の世代がまた繁殖のために戻ってくることです。そうすると、はじめてわれわれの手から完全に離れ、自然の中で再生産できることになるのです。その第二世代までは見届けなければならないと考えています。

大塚― 第二世代というのは、7〜8年くらい先のことでしょうか。

尾崎さん― 一番早くて、今度の冬に若鳥が卵を産み来年ヒナがかえります。そこからまた5年必要ですから、最短で6〜7年、10年近くでしょうか。

野生であれば(相手が)気に入らなければ移動すればいいのに、ケージの中だと逃げ場を失ってしまう

湿地で採餌するコウノトリ

湿地で採餌するコウノトリ

大塚― 最近よく話題になるコウノトリのこともお話を伺いたいと思います。

尾崎さん― コウノトリには、日本に渡り鳥として訪れるものと、日本で留鳥として繁殖するものの両方がいました。今話題になっているのは、留鳥として日本で繁殖していたコウノトリが絶滅したことです。しかし、中国大陸にはコウノトリがまだ生息しており日本に渡ってきていましたので、トキのように完全に日本に存在しなくなったわけではありません。
 日本で繁殖していたポピュレーション(個体群)がいなくなり、ロシアからもらってきたコウノトリを人工で増やすことができたので、野生に返そうというのが、話題になっている最近の動きなのです。
 コウノトリについてもかなりの苦労がありました。とくに、コウノトリはペアリングが非常にむずかしく、気の合わないペアを一緒にすると、雄が雌を殺すこともあって、飼育下での繁殖がなかなかうまくいきませんでした。いろいろな工夫をして、やっと数が増えるようになってきたのです。

大塚― 野生状態でのペアリングはどうなのでしょうか。

尾崎さん― もちろん野生ではペアができます。飼育下という環境は、コウノトリにとって特殊でして、野生であれば気に入らなければ移動すればいいのに、ケージの中だと逃げ場を失ってしまいます。そこでつつき殺されるということがおきるのです。

大塚― 兵庫県で、放鳥されたコウノトリに次世代が生まれましたが、放鳥された段階ですでにペアだったということでしょうか。

尾崎さん― いえ、違います。繁殖にはいる前の幼鳥も放鳥していますので、野外で成熟して、ペアになりヒナをかえしたということです。コウノトリは、目指すところまで一足先に到達したということになります。

大塚― 世代の間隔が少し短いのでしょうか。

尾崎さん― アホウドリよりは短く、3〜4歳で繁殖にはいります。

大塚― 個体数もずいぶん増えているのでしょうか。

尾崎さん― 野外で50羽くらいに増えています。問題は、コウノトリは繁殖のとき、かなり広い面積を必要とします。人間が餌をやらなくても充分に餌を摂れるくらいの広い面積を確保する必要があります。そのためには、兵庫県だけでなくて、周辺の地域にもコウノトリの生息場所が広がることが期待されます。

大塚― 広い面積が必要ということですが、その中は手つかずの自然というよりは、田んぼなどの里山的な場所が向いているのでしょうか。

尾崎さん― そうですね。トキもコウノトリも水田をよく利用します。水田をトリたちにとって少しでも棲息しやすいように変えていければと思います。

大塚― トキにしろコウノトリにしろ、棲息しにくくなったのは、田んぼが減っただけでなく、農薬などによる環境の劣化も関係していたのでしょうか。

尾崎さん― コウノトリは、農薬の影響があったことが確認されています。卵からかなり高濃度の農薬が検出されており、繁殖能力が落ちたと考えられます。
 トキはちょっと違い、彼らはクチバシが曲がっていて、サギみたいに目でみて捕るのではなくて、泥の中にいるドジョウやカエルなどを探って捕ります。ということは、サギが利用できない餌を捕るためにクチバシを曲げて長くなるよう進化したわけです。ところが、冬に水田から水を落として乾燥させるようになったので、泥そのものが減る、あるいは泥の中の餌が減り、トキは餌を捕れなくなったのです。特殊化したクチバシのために、同じような環境に生息するサギに比べ、トキは極端に数を減らしたのです。

コウノトリのために整備された豊岡市戸島湿地(中央に営巣中の塔が見える)

コウノトリのために整備された豊岡市戸島湿地(中央に営巣中の塔が見える)

営巣状況がテレビ映像で見ることができる

営巣状況がテレビ映像で見ることができる


子孫を残していけることに重きを置いた保護をしないと、次世代が生まれず結局は絶滅につながっていく

沖縄本島北部の山原地域に生息するヤンバルクイナ

トキなどの他にも国内で多くの野生動物が絶滅の危機に瀕している。
写真は沖縄本島北部の山原地域に生息するヤンバルクイナ


ヤンバルクイナの追跡をする尾崎さん

ヤンバルクイナの追跡をする尾崎さん

大塚― 3種の鳥類の話しを伺ったのですが、尾崎さんからみて、野生鳥類あるいは野生動物全体かもしれませんが、人間と野生動物との関係、あるいは動物からみて人間はどういう存在なのでしょうか。

尾崎さん― 人間は環境を変えてしまう大きな存在です。水田ひとつにしても、かつての水田であればいろいろな生物が共存できたのですが、どんどん効率化、あるいは経営合理化を進め、水田を米の生産工場みたいにしてしまいました。一時期は、それでうまくいったこともあると思いますが、よく考えてみると、危機に瀕しているトキやコウノトリにとって、あるいは人間にとってもそうした米作りは良くないことがだんだんわかってきました。水田は人間のお米をつくるところとしても、ほかの生物と共生しながら、お互いが調和して暮らしていくべきであって、人間はそれを可能にする能力をもっていると思います。

大塚― 2年前に名古屋で開催された、生物多様性のCOP10以来、日本でも生物多様性への関心が高まってきたと思います。いろいろと活動されてこられて、最近の日本人のものの見方とか、自然との付き合い方について、どのように感じられますか。

尾崎さん― 話しが戻りますが、1981年にトキを捕獲したとき、ショックだったことがありました。宿舎の前の防波堤に雪が積もっていて、そこに字が書いてあったのです。「トキを捕るな」と。誰が書いたかはわからなかったのですが、その当時、トキが自然に消滅するならそれも美学とか、野生だから安全に捕まえるのはむずかしいよとか、増やすことはむずかしいよとか、そういう考えに基づく反対がありました。われわれの考えは、トキ1羽1羽も大切ですが、それにあまりこだわっていると本筋の保護ができなくなるということでした。
 日本人のメンタリティからは、保護というより愛護の精神が強く、今もまだ主流だと思います。子孫を残していけることに重きを置いた保護をしないと、次世代が生まれず結局は絶滅につながっていくのです。ですから、捕まってしまう5羽のトキはかわいそうだけれども、彼らが子孫をしっかり増やせれば、また戻していけるという考え方でいました。しかし、そういう考え方がなかなか理解されなかったのです。現在もそれほど変わっていないのかもしれません。

大塚― 愛護は、言葉としても美しい響きをもちますが、自然の法則に背くようなこともあるというお話しだったと思います。子どもたちをみていても感じますが、動物をかわいいと思うのはいいとして、いわゆる過剰愛護でなく、自然のシステムの十分な理解が進んでいないということでしょうか。

尾崎さん― 今の子どもたちは昆虫採集などをやらなくなりました。私は昆虫少年だったので、ちょっと残念な気がします。もちろん、たくさんの昆虫を殺せというわけではありませんが、捕まえてみると、昆虫の特徴や美しさもわかります。また、自分の手の中で死んでしまえば、生き物は死ぬという実体験から多くのことを学びます。昆虫や鳥に接触することを増やし、深く自然を理解しようという気持ちが大事と思うのですが、最近の子どもたちの多くが、自分の生活とあまり関係ないので、生物を「在ってもなくてもいい存在」と考えているように感じています。


人間の営みの原点に立ち返って、今までとは視点を変えて自然をみることが広がってほしい

大塚― 最後になりますが、EICネットをご覧になっている方々に、野生鳥類と長くお付き合いされた尾崎さんからのメッセージをいただければ思います。

尾崎さん― 去年の大震災、津波、原発事故、その後の電力問題などを経験すると、経済が順調なのはいいこととしても、経済がずっと右肩上がりで進むこと自体が無理と思えてきました。なぜかというと、右肩上がりとはどこかで搾取がおきているからです。たとえば、外国の木材を運んできて利用することは、樹木がなくなってしまう国やその環境の犠牲のうえに経済を発展させていることになるのでしょう。モノを増やすとしても、循環するシステムの上で増えるのでなければならないと思います。進歩とか発展はあまり急ではなく、場合によっては横ばいでもいいのです。急激な進歩や発展を目指す必要のないことは、去年以来の出来事から再認識した点です。実際、多くの人びとが節電などに取り組んでいるのはその表れでしょう。
 こういう人間の営みの原点に立ち返って、人間と生物との関係、トキなどの鳥類との関係を含めて、今までとは視点を変えて自然をみることが広がってほしいと思っています。

大塚― トキ、アホウドリ、コウノトリをはじめ、野生鳥類が文字どおり自然界の一員として生息できるよう、地域住民の方々、そして山階鳥類研究所をはじめするとする皆様のさらなる活躍を期待しています。本日は、どうもありがとうございました。

山階鳥類研究所副所長の尾崎清明さん

一般財団法人環境情報センター理事長の大塚柳太郎


山階鳥類研究所副所長の尾崎清明さん(左)と、一般財団法人環境情報センター理事長の大塚柳太郎(右)

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